利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(38) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

緊急事態宣言とオリンピック延期

4月7日、7都府県に新型コロナウイルス感染症について緊急事態宣言が発令された。戦後、未曾有の事態である。日本政府は3月に小中高校を休校にしたが、感染の拡大を阻止できなかった。

この主因の一つとして、政府や東京都がオリンピック開催を目指し続けていたので、PCR検査の数を意図的に制限していた、という疑いが指摘されている。実際に、世界的に見て、日本の人口比検査率は極めて低い。医療崩壊を防ぐためという理由でこの方針を弁護する識者がメディアでは多かったが、感染者が増加して現実に医療崩壊が起き始め緊急事態になってしまったのだから、政策の失敗は明らかだ。

筆者は実は2014年前後に講演や論説で、東京オリンピックは実現できないかもしれないという議論を紹介して、日本の先行きに懸念を表明していた。なぜなら、日本政治は戦前と似た循環に陥っており、戦前に政党政治が崩壊したように、民主主義が危機に至る予兆があったからだ。戦前は満州事変が1937年に起こり、翌年には、1940年に開催する予定だった東京オリンピックを断念せざるを得なくなった。同じように、民主主義が崩壊に向かえば、戦争などが生じかねず、平和的なスポーツの祭典が2020年に無事に遂行できるか心配に感じたのである(小林正弥「東京オリンピック開催に見る日本の戦前と戦後――靖国参拝と国際的孤立」『論座』2014年1月18日https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014011700005.html、など)。

この懸念は不幸にも的中してしまった。北朝鮮との戦争という危機は2018年の米朝首脳会談で劇的に回避されたが、東京オリンピックは新型コロナウイルス感染症によって延期となった。それでもこのウイルスによる人命の犠牲は、本格的な戦争よりは少なく済ませることがまだ可能だろう。人々は権利を一部制限されて外出や営業などをやめざるを得なくなったが、降り注ぐ爆弾から逃れようとするよりはましだ。

文明の危機と変容の可能性

今回のような疫病は、政治や文明の大変動を引き起こすことが少なくない。

日本では6世紀の仏教伝来期に天然痘が流行し、その原因は仏教の導入だと非難する物部氏と、仏像を焼いたことに原因を求める蘇我氏の間で対立が生じて、やがて後者が勝利し、聖徳太子の仏教的政治へとつながった。奈良時代の聖武天皇在位中には、737年(天平9年)に天然痘が大流行して約150万人もが亡くなり、実権を握っていた藤原氏の四兄弟も全員病死した。その後、聖武天皇は仏教によって国家の安泰を図ろうとして、鎮護国家のために全国に国分寺・国分尼寺を造り、東大寺(金光明四天王護国之寺=こんこうみょうしてんのうごこくのてら)の大仏を建立した。つまり、疫病が契機になって、仏教による護国が国家の思想的支柱になったのである。

ヨーロッパでは、14世紀のペストの大流行が封建制の衰退につながり、19世紀前半のコレラ流行は革命と反動の時代に起こり、1918-20年のスペイン風邪(インフルエンザ)が第一次世界大戦時に起こった。これらの疫病が終息するとともに、一つの時代が終わりを告げ、新しい政治や文明が興隆した。

平成という時代における混乱や危機は、西洋近代文明の動揺を表していると私は記した(第24回参照)。そして、令和の時代を迎えたが、その2年目にして最大級の世界的危機を迎えた。この危機とは、上述のような国家的問題とともに、文明的問題でもある。市場経済における利益追求至上主義や利己主義が地球規模の環境問題や異常気象のような弊害をもたらしているにもかかわらず、世界はそれに有効な解決策を十分に実行できないでいる。アメリカやヨーロッパ諸国において右派のポピュリズムが強力になっており、戦争の危険すら増大しているのだ。

このような中で新型コロナウイルス感染症が発生し多くの国が緊急事態宣言やロックダウン(都市封鎖)により経済活動の休止や縮小をせざるを得なくなった。ここで現れたジレンマは「経済的利益か、生命か?」というものである。日本がオリンピック開催にとらわれて生命を軽んじる政策を取ってしまったのに対し、独仏や英米などは生命を優先する政策を日本より先に採用した。

この歴史的大事件は、このウイルスの問題が終息した後も、人々や世界に深甚な影響を及ぼしていくのではないだろうか。他人から物理的に距離を置かざるを得なくなる期間、人々は家にいて家族と共に多くの時間を過ごすことが多くなっている。また、今は一人暮らしの人も多く、考えをめぐらす時間が自然と増える。それらは、自分たちの生き方や政治・社会のあり方を見つめ直す機会ともなり得る。普段は経済的利益や社会的評判、快楽や娯楽などに意識を奪われている人々も、生命や健康、家族生活などの重要性を改めて実感するかもしれない。

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