利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(52) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

疫病の後に来る文明的大変化

古代日本における疫病の流行は、聖徳太子の仏教導入や聖武天皇による仏教国家の樹立につながった(第38回第39回)。このような歴史的展開は、日本だけではない。古代ギリシャでは、当時の中心地・アテネで民主主義的指導者ペリクレスが疫病により死亡してからモラルが崩壊し、ライバルの都市国家スパルタとの戦争中に大疫病が生じて敗北した。こうしてアテネは没落し、民主主義が崩壊したのだが、「人生いかに生きるべきか」という問いを発したソクラテスの刑死を経て、プラトンやアリストテレスが道徳的なギリシャ哲学を確立した。

次いで古代ローマでは、天然痘が流行(はや)り、マルクス・アウレリウス帝という哲学的な皇帝が感染死して五賢帝という最盛期が終焉(しゅうえん)し、やがて滅亡へと至った。東ローマ帝国でも、ユスティニアヌス帝がかつてのローマ帝国を再興しようとしたが、ペストに感染して挫折した。

こうして中世に入るが、ペストの大流行により当時のヨーロッパ人口の3~4割が死亡するという大惨事になり、封建制が弱体化する。この中で、イタリアでは「死の舞踏」のような絵画が制作される一方で、ギリシャの哲学や文化が再生し、ルネッサンスの時代が訪れる。さらにプロテスタンティズムが勃興して、キリスト教も再生してゆく。

こうして誕生した近代では、17世紀にイギリス・ロンドンでペストが大流行し、ケンブリッジ大学も閉鎖された。この大学を卒業した直後の若きニュートンは故郷に戻ったが、この「創造的休暇」において光・重力・微積分計算に関する大発見を次々として、これを起点に科学技術の新時代が始まるのである。

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