共生へ――現代に伝える神道のこころ(3) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
「鏡」の存在は、生き方の根本「正直」さを示す
最後の「宝鏡奉斎の神勅」は神祭りの根本を指し示したものである。「吾が児、此の寶鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、當に吾を視るがごとくすべし。与與(とも)に床を同くし殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、齋鏡(いはひのかがみ)とすべし」というもので、天照大神が授けた「この鏡を私(大神)だと思って御殿に大事にお祀りしなさい」という意味の神勅だ。まさに神を敬うことの大切さを意味し、それは先祖を敬うことにつながるものである。
現在でも天皇陛下は、宮中三殿や伊勢の神宮、山陵において皇祖へのお祭りを丁重に行っておられるが、このことは陛下自らがその祖先である天照大神をはじめ歴代天皇を敬い祀ることでもあり、人々に率先して先祖を敬い祀られていることでもある。また、「宝鏡」とあるが、喜怒哀楽、元気であろうが疲れていようが、私たちの姿を包み隠さず、そのまま映し出す「鏡」の存在は、神道の考え方では「正直」さを意味するものである。その「正直」とは、人の生き方の根本の一つでもある。人が実直勤勉に生きることがいかに難しいことか――だからこそ日々、神々を祀り、神を丁重に敬うことによって少しでも日常を清く明るくより良く生きていこうと願う気持ちを確認していく大切さを教えてくれているのではないだろうか。
小生なりに『日本書紀』に示された三大神勅の指し示す考え方を述べてみた。この神勅をどう考え、受けとめて行動するかで、人の生き方のみならず、未来の我が国の在り方も変わるような気がしてならないが、読者の方々はいかがだろうか。
(写真は全て、筆者提供)
プロフィル
ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。
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