心の悠遠――現代社会と瞑想(9) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

船の後に続く航跡。遠くにマンハッタンが見える。人生は一瞬一瞬という“点”の積み重ね。それがやがて“線”となる――日々の縁を大事にすることが、より良い一生を送る秘訣だ

一瞬の連続が人生

私たちは皆、命や人生というものを、とかく、「線」として考えている。何か引かれた線のようなものが既にあるような気がする。しかし、この線は実は「一瞬」という点の集合体にすぎない。命は一瞬一瞬、時を刻んで先に進む。私たちはこの一瞬を生き続けて、ただ幸運なことに、この一瞬が続いて線になっているだけのことだ。一瞬の連続が命、人生なのである。この一瞬を認識できる一番身近な方法が、一回一回の呼吸だ。幸せも、悲しみも全て「一瞬」「一回一回の呼吸」の中にあるだけ。だからこそ、「今」「即今」を大事にしていくのである。

「一期一会」という言葉は、全ての出会いが一生に一度限りの巡り合いであるということだ。会った時が別れ。だから、全てに感謝をしようという願いが生まれる。出会いは人だけではない。物、時間、現象、全ての存在がその対象になる。点という人生を、点の中で生きているのではなく、点の中で生かされている自分にどこまでも感謝していくのだ。この点がどのように導かれていくのかといえば、それはただ「縁に従っている」だけである。自分が気ままに言動するということではなく、「大いなるものからの呼び掛け」に従うだけである。

法華経が説く教えの一つに「諸法実相」がある。「諸法」とは全ての事柄や現象で、一切の事象のこと。「実相」は真実の相(すがた)で、真理の表象ということである。つまり、諸法実相は「森羅万象は全て真理の表象」と教える。雨が降れば地が湿る。松くい虫に喰(く)われれば、その松はいずれ枯れる。おなかが空けば食をしたくなり、水分をたくさん取ればトイレが近くなる。われわれは皆、例外なく、毎年、年を取っていく。ただそれだけのことである。私たちは「縁」という何か大きな流れの中で生きている。私は、この縁をどこまでも大事にすることが、ひいては、命と人生、人間関係がどう違って見えてくるか、この縁を見つめる目に、現実の私たちの姿がどう映るか、そして、私たちはどう生き方を変えていけばいいのか、ということの秘訣(ひけつ)だと思う。「縁に従う」のである。

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