新・仏典物語――釈尊の弟子たち(1)
琴の糸のたとえ
釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)にいらっしゃったときのことです。近くの森の中で、ソーナーという弟子が他に類を見ないような厳しい修行をしていました。しかし、ソーナーには一つの悩みがありました。
〈お釈迦さまの弟子の中で、私ほど厳しい修行をしている者はいないはずだ。しかし、どうしても悟りを得ることができないのは、いったいどういうわけだろう? いっそ世俗の生活に戻ってしまおうか……。家に帰れば、私には莫大な財産があるから、ぜいたくな暮らしができるわけだし……〉
やがてソーナーの悩みを感じとった釈尊は、彼の元を訪ねました。
「ソーナーよ、何か悩みがあるようだな」
釈尊に問われたソーナーは、かねてからの悩みを打ち明けました。釈尊は大きく頷(うなず)くと、次のように言いました。
「汝(なんじ)が家にいた頃は、琴を弾くのが大変に上手であったと聞いているが……」
「はい。多少、たしなんでおりました」
「それではよくわかるであろう。琴というのは、弦を緩めればいい音がでるのであろうか?」
「いいえ、お釈迦さま。それでは、よい音は鳴りません」
「では、きつく張ればいい音がでるのであろうか?」
「いいえ、あまり強く張り過ぎると、弦は切れてしまいます」
「では、どうすればよいのであろうか?」
「はい。強からず、弱からず、ちょうどいい具合に弦を張らなければ、よい音を出すことはできないのです」
「ソーナーよ、われわれの修行もそれと同じである。あまり厳しすぎては、心が高ぶって落ち着くことができない。逆に緩すぎても懈怠(けだい)に陥ってしまうのだ」
釈尊の言葉にソーナーは目を輝かせました。その後、修行に励んだソーナーは、やがて悟りの境地に達することができたということです。
(『雑阿含経』より)
※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています
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