法華経のこころ(20)
人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「無量義経徳行品」と「五百弟子受記品」から。
無礙(むげ)の楽説大弁才(ぎょうせつだいべんざい)を得(え)て(無量義経徳行品)
看護師のA子さんはこれまで、末期がんの患者さんと多くかかわってきた。その中の一人、Tさんは目が不自由だった。根っから明るい人で、冗談を言っては人を笑わせた。看護師の足音を聞き分け、自分から「○○さん、おはよう」と声をかけてくれた。
大部屋には、認知症のおじいちゃんがいた。おじいちゃんは、時々大声で歌を歌った。患者さんたちは苦い顔をした。そんな時、Tさんはおじいちゃんの声に合いの手を入れ、自分も歌った。病室の雰囲気がなごむ。他の患者さんたちもあきらめの笑顔になった。
Tさんの病状は次第に悪化した。高熱が続き、人口呼吸器をつけなければならなくなった。大事なコミュニケーションの手段である言葉も取り上げられた。それでもTさんは受け身にならなかった。A子さんの手のひらに指で語りかけてきた。顔の表情で「おはよう」を言った。そうして最期を迎えるまで、Tさんは笑顔を絶やさなかった。
人は、人生の最後の最後まで、他の人を喜ばせることができる。そんなすごい力を具(そな)えていることを、A子さんは学んだという。持てる力をどれだけ生かせるか。それはどれだけ人に喜んでもらえるかにかかっているのかもしれない。Tさんの生き方に少しでも近づきたいと思った。
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