新・仏典物語――釈尊の弟子たち(17)

地獄の炎 デーヴァダッタ(Ⅱ)

王宮に通じる門の前で、デーヴァダッタ(提婆達多=だいばだった)は衛士(えじ)に行く手を阻まれました。「あなたさまをお通ししてはならぬ、と王からの申し伝えでございます」。デーヴァダッタは一瞬、耳を疑いました。これまで、わが物顔に王宮へ足を踏み入れ、自由に王のアジャータサットゥ(阿闍世=あじゃせ)と会うことができたからです。衛士と押し問答になりましたが、衛士は王の命令を繰り返すだけでした。その対応が丁重なだけに、その裏に潜む王の固い意志をデーヴァダッタははっきりと感じ取りました。

門を離れるデーヴァダッタの胸に瞋(いか)りが込み上げてきました。王に見捨てられたことで、王を後ろ盾に釈尊の教団を乗っ取る企てもついえてしまったからです。その瞋りは、やがて恐怖に変わりました。釈尊を暗殺するための策略を巡らしたこと、修行僧の和合を破ったこと……。聖者の身を傷つけ、僧伽(そうぎゃ=サンガ)の結束を乱した者は、その報いとして地獄に堕(お)ちなければならないことに思い当たったからです。

道端に座り込んでしまったデーヴァダッタが名を呼ばれて顔を上げると、フラナという男が立っていました。デーヴァダッタの話を聞き、この虚無主義者はこう応えました。「地獄などあるものか。迷信だよ。だから、過去の己が所行に恐れおののくことはない。そもそも人間は何をしようが構わないのだ」。

人間は何をやっても許される――この言葉は、まるで蛇の鎌首のようにデーヴァダッタの心で頭をもたげ始めました。

数日後、デーヴァダッタは釈尊のもとを訪れました。釈尊の前で礼拝(らいはい)するやいなや、デーヴァダッタは釈尊の膝につかみかかりました。膝は硬く、まるで岩のようでした。爪は裂け、指先に食い込みました。デーヴァダッタは目をむきました。爪には毒が塗ってあったのです。指は紫色にふくれ上がり、毒は生き物のように躰(からだ)をはい巡り始めました。全身がしびれだしました。遠くで声がしました。それはデーヴァダッタのいとこで、釈尊に近侍(きんじ)するアーナンダのものでした。「デーヴァダッタ、世尊に帰依したてまつれ」。

躰の中は炎で焼き尽くされそうでした。視界がゆがみ、痙攣(けいれん)が走りました。地獄の闇に引きずり込まれながら、デーヴァダッタは叫びました。しかし、その声は誰の耳にも届きませんでした。それは、つぶやきにしかならなかったからです。……〈我、今日より、世尊において至心に帰服したてまつる〉。

(有部毘奈耶破僧事より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています