新・仏典物語――釈尊の弟子たち(12)

流れは、絶えずして

ガンジスの流れは、あまりにもゆったりとしていて止まっているようにも見えました。しかし、その流れは確実に下流に向かい、数日後には海に注ぎ込むことは間違いありません。<とどまることのない時の流れのようだな>。河岸にたたずみながら、アーナンダ(阿難)は、そう思いました。

釈尊のもとで出家した日、釈尊や同僚とともに教えを伝えるため村々を巡り歩いた日々。釈尊も仲間も若さに光り輝いていました。しかし、その釈尊もサーリプッタ(舎利弗=しゃりほつ)もモッガラーナ(目連)もマハーカッサパ(摩訶迦葉=まかかしょう)も、もうこの世にはいません。釈尊から直接、教えを受けたものは、アーナンダただ一人になってしまいました。そして、そのアーナンダも間もなく入滅することを自覚していたのです。

入滅を前に、アーナンダは心を痛めていました。釈尊が亡くなった後も釈尊の教えを奉ずるものは確かに増えました。しかし、教えを正しく受け継いでいる者はそう多くはありませんでした。誤りを諭しても、その者たちは聞く耳を持っていません。あげくの果ては、陰でこう言うのでした。「アーナンダは、もう年老いた。アーナンダの言うことに従うことはない」。

そうした中でも、シャーナバーサが頭角を現し始めたことが、アーナンダには慰めでした。そして、もう一人、ヒマラヤで五百人の弟子と共に修行していたマデンチカが、釈尊の教えを学ぶためにアーナンダのもとに飛び込んできたのです。 この二人の存在がアーナンダの心の支えでした。

アーナンダが入滅することを知ったマガダ国の王・アジャータシャトルと、マガダ国とはガンジス川を挟んで対岸にある商業都市・ヴァイシャーリーの人々が、それぞれ兵を率いガンジスの河岸に押し寄せました。釈尊の最後の高弟であるアーナンダの遺骨を、争ってでもわが物にしようとしたのです。

両軍がにらみ合うなか、アーナンダは川の中州に渡りました。そこで、アーナンダは法蔵をマデンチカに授け、自らは火光三昧(かこうさんまい)に入りました。アーナンダの身体は宙に浮き上がり、身体全体から青、黄、赤、白の輝くばかりの光を発しながら身を焼き、身体を二つに分け、遺骨を半分ずつ両岸に陣取る人々に与えたのでした。

アーナンダの死後、マデンチカはカシミールで教えを広めました。その地は後に、仏教の中心地となるのです。

(阿育王経より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています

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