法華経のこころ(1)

人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、それにまつわる社会事象や、それぞれの心に思い浮かんだ体験、気づきを紹介する。

請せざるの師

「菩薩とは、苦しんでいる人たちを見れば、やむにやまれぬ慈悲の気持ちから、頼まれもしないのに手を取りに来てくれる教師のようなものです」。信仰を持つ者として、常に心に銘記したい言葉である(無量義経徳行品)。

小学2年生の時だった。父が肺の病気で半年ほど入院した。ショックから私は、とたんに無口な子供になった。それまでは絵に描いたようなワンパク少年。母もずいぶん心配したらしい。

入院から約1カ月後。私は郵便受けに、キャラメルとガムが入っているのを見つけた。母に話すと「だれかしらねえ」と言うばかり。家計が苦しく、おやつもろくに食べられないころだったから、ありがたく弟と二人で頂いた。弟は「きっと神さまがくれたんだよ」と、はしゃいでいた。

次の日も、また次の日も、お菓子の「配達」は続いた。結局、5カ月間、私たち兄弟は、おやつに不自由しなかった。そして、父は無事退院した。その日、郵便受けにお菓子は入っていなかった。代わりに、一枚の小さな紙きれがあった。

『お父さんが帰ってきてよかったわね。これからは元気でがんばりましょうね』。見慣れた担任の先生の字だった。今でも、キャラメルを見ると、胸がジーンとする。
(N)

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