法華経のこころ(18)

人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「安楽行品」と「従地涌出品」から。

和顔にして為に説け(安楽行品)

「おだやかな態度、顔つきで法を説くのが、菩薩としての基本的な姿勢です」。家庭や職場などの日常生活でも、常に心したい教えだ。

元旦、女房があらたまって「お父さん、今年もよろしくお願いします」。私も、つられて「いや、オレこそよろしく」。特別な日ということもあって、不思議なくらい、素直に、笑顔であいさつができた。ふと考えた。〈毎日、こんな調子で過ごせないものか〉。

和顔愛語というが、これができそうで、できない。女房に何かを頼むにも、言葉の裏に〈言わなければ、できないのか〉という思いがこもっている。勢い、顔つきも憮然(ぶぜん)とし、そっけない言い方になる。言われる方も、おもしろいはずがない。不満そうな顔を見せる。それが、また私は気にくわない。どうしても厳しく接しなければならない場合は別として、温かみのない顔つきや言葉は、何ひとつ良い結果を生まない。

子供に対しても同様だ。2歳の息子ですら、「こら! ……しろ」では、プイと横を向いてしまう。ところが、笑顔で優しく話せば、たいていのことは、うなずく。

人間は、感情的な動物である。さまざまな感情の中でも、特に、不満や怒りは、すぐ頭をもたげる。安楽行品の一節を、人と接する際、いつも思い起こしたいものである。
(N)

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