新型コロナウイルスへの対応の中で 教えを支えに日々を過ごす会員たち(44)

(イメージ写真)

新型コロナウイルスの感染拡大が続き、立正佼成会ではさまざまな集いを控えています。こうした中、会員はどのような思いで過ごしているのでしょうか。それぞれの場で精進を重ね、家族やサンガ(教えの仲間)と心をつないでいる会員の声を紹介します。今回は、広島教会会員です。

ごみ拾いを通し、いのち見つめ

広島教会会員(78歳、女性)

3年前に今のマンションに引っ越し、その翌日から雨の日以外は、自宅から歩いて5分ほどの公園で行われているラジオ体操に、夫と参加しています。数週間通ううちに、公園までの道にごみが捨てられているのが目につくようになりました。「身近な所で菩薩行を」と思い立ち、公園の行き来にごみを拾うようになりました。

たばこの吸い殻に、おにぎりの包装材、空き缶……。さまざまなごみが落ちています。特にコロナ禍になってからは使い捨てマスクが目立ちます。身をかがめ、ピンセットで一つ一つごみを拾い、道がきれいになっていくのを目にすると、うれしさが込み上げてきます。

コロナ禍での自粛生活で時間にゆとりができたのを機に、開祖さまのご著書『法華経の新しい解釈』を何度も読み返しました。すると、道に落ちているごみを見つけることができる目があり、拾うための手があること自体が有り難いのだと感じました。今まで当たり前と思って気づかなかったいのちの尊さを心からかみしめることができたのです。

さらに、先輩の会員さんとの触れ合いから、ごみは不要なものではなく、この世で役目を終えた尊いいのちであると受け取れるようになりました。それ以来、〈ごみさん、おはようございます〉と心の中で拝みながら、新たないのちへと生まれ変わることを願って拾っています。

最初は、自分が徳を積むために始めたごみ拾いですが、次第にいのちについて考えるようになり、たくさんの功徳を頂きました。今では近所の人や通りすがりの人が「いつもありがとうございます」と感謝やねぎらいの言葉をかけてくださいます。そうしたいくつものおかげさまで、「この道を通る人が明るく、気持ちのよい一日を過ごせるように」と多くの方の幸せを願えるようになりました。今、この身を人さまのために使えていることに感謝しています。