男たちの介護
男たちの介護――(18) 仲田惠三さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授
新しい介護生活の可能性
住まいのある地元から生家まで、500キロをまたいで親の介護を担っている仲田惠三さん(71)=仮名=。電車を乗り継げば10時間、車で急いでも8時間超に及ぶ「遠距離介護」のカタチは、核家族世帯が圧倒的多数派となった時代の象徴かもしれません。今を生きる私たちの、誰にも起こり得る介護問題とも言えましょう。
男たちの介護――(16) 遠距離の老老介護 母と穏やかな時間を過ごすために
連れ合いを亡くした母親を案じ
携帯電話の着信音が鳴った。「お父さんが入院した」。平成23年春、仲田惠三さん(71)は、母親のきよさん(92)からの知らせに「すぐに行く」と返答ができなかった。父親の政夫さんは、インフルエンザの予防接種後、風邪をこじらせ、肺炎を患ったという。気がかりでないといえば嘘(うそ)になる。だが、地元の地区役員の仕事で毎日、予定が詰まっていて、駆け付けることはできなかった。
男たちの介護――(15) 岡田利伸さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授
人生に深みもたらす介護体験
介護をする人や、される人の属性を、類型化あるいは数値化すると、介護の全容が分かったような気持ちになります。根拠のある介護の方法を得られるような気持ちにもなります。でも、それはとんでもない勘違いであることは、これまでの本連載でも明らかになっていますが、今回の岡田利伸さん(68)=仮名=の介護体験のケースでもそうでした。介護は常に具体であり、個別であり、そして、特殊な生活行為であることを教えられたのです。
男たちの介護――(13) 母への感謝 激動の中で見えた幸せ
二人の母へ少しでも恩返しを
ただならぬ物音に目を覚ました。夜中である。岡田利伸さん(68)は跳び起きると部屋を出た。洗面所へ通じる廊下の片隅に義母のチヨさん(当時85歳)が倒れているのを見つけた。
男たちの介護――(12) 徳田昌平さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授
支える仕組みと「気づき」の力
役目を終えた現在だからこそ、分かることもあるのでしょう。「人の輪に支えられて得た静穏な日々」にあるという徳田昌平さん(74)=仮名=の介護体験に学ぶ点は多く、在宅での認知症介護には、介護者を支える仕組みがどうしても必要だということです。
男たちの介護――(11) 変わりゆく父 激動の中での決断
人の輪に支えられた日々
父・知則さんの面倒を最期まで看(み)よう、そう徳田昌平さん(74)は決意していた。ところが、一緒に父を介護していた妻の史子さん(71)が入院することになった。介護による心労のためである。やがて、昌平さん自身も自分の限界を知ることになる。
男たちの介護――(10) 変わりゆく父 激動の中での決断
父は最期まで私が看よう
8年前のことだ。「ここに置いてあった銀行のキャッシュカードをどこへやった! おまえ、俺の金、盗んだだろう」。突如激高する父親に、徳田昌平さん(74)は困惑した表情で答えた。「いいかげんにしてくれよ。父さんの金なんて盗んでいないよ。父さんの方こそ、この間、キャッシュカードを外出先で無くしたばかりじゃないか」。
男たちの介護――(9) 小谷正臣さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授
ケアとは、人をいとおしむ心 “care”が紡ぐコミュニティー
夫婦で共に手をとり合い、障害のある娘さんを支えながらも「穏やかな」暮らしにあった家族団欒(だんらん)が、奥さまの脳内出血という異変によってきしんでいく。さらには娘さんも子宮体がんに侵され、懸命の看護の末、46歳の生涯を終える――小谷正臣さん(77)=仮名=の壮絶な介護生活を綴(つづ)ったのが今回の『男たちの介護(7、8回)』でした。夫婦は「異体同心」、つらくとも前を向いて生き抜こうという小谷さんから教えられたことを記し、私のコメントに代えたいと思います。