男たちの介護――(11) 変わりゆく父 激動の中での決断
人の輪に支えられた日々
父・知則さんの面倒を最期まで看(み)よう、そう徳田昌平さん(74)は決意していた。ところが、一緒に父を介護していた妻の史子さん(71)が入院することになった。介護による心労のためである。やがて、昌平さん自身も自分の限界を知ることになる。
妻が倒れる数カ月前のことだ(2008年)。昌平さんは定期健診で「前立腺がんの疑いがあります」と診断された。幸い発見が早かったため大事には至らなかったが、体力の衰えを感じるようになった。
昌平さんは介護や家事をこなしながら、週に3、4回は立正佼成会の布教活動にも参加していた。立正佼成会の地域拠点における道場長と主任を兼務していたためである。慣れない洗濯や掃除、排泄(はいせつ)や入浴の介助を行うようになって気付いたことがある。家事と介護は重労働であるにもかかわらず、それを当たり前のように黙々と続けてきた妻の苦労だった。史子さんは11年前、寝たきりの姑を10年間にわたり介護したことがある。「おまえには苦労ばかり掛けて申し訳ない」。嫌な顔をせず姑の世話に当たる史子さんに頭を下げた。「何を言っているの。嫁いだところが自分の家なのよ。お姑さんの介護も喜んでさせて頂いているんだから」。そう言って史子さんはほほ笑んだ。
その妻も、今や心の病で苦しんでいる。父の、アルツハイマー型認知症を伴う混合型認知症は進行性の病気で、治らない。昌平さん自身も体力に自信がなくなってきていた。もしこのまま自分まで倒れたら、妻や父はどうなってしまうのか。自分一人で面倒を見るのはやはり限界がある。共倒れだけはなんとしても避けたい。公的サービスを利用するのも一つの手かもしれない。