気づきを楽しむ~タイの大地で深呼吸
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(12) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
サンカーンがはっきりしてきたね!――元お坊さんの子育て目線
3歳9カ月になる息子は、大のお父さんっ子だ。私が出掛ける際にはほとんど泣かないのに、夫が一人で出掛けようとするとすぐに察して、「ポー(おとうさん)」と言いながら、一目散に追い掛けていく。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(11) 文 浦崎雅代(翻訳家)
精いっぱいやる、でもシリアスにならない
前回お伝えしたタンマヤートラ(法の巡礼)。8日間で約100キロの、歩く瞑想(めいそう)だ。私の家族も無事に完歩した。3歳の息子は夫に抱かれる時間が多かったけれど、それもまたよし。夫は「辛抱強さを身につけるぞ!」とあらかじめ語っていたので、体重17キロの息子を抱えながら楽しそうに歩いていた。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(10) 文 浦崎雅代(翻訳家)
タンマヤートラ――行進でも、デモでもなく、気づきと共に歩く
8日間で約100キロ――タイの田舎道を歩くイベントが12月に行われる。年々参加者が増え、今年も300人は下らないだろう。僧侶も一般の人も共に歩くのだが、何かを訴えるための行進(パレード)やデモではない。速さも距離も競わず、我慢比べでもない。シュプレヒコールを上げたり、何かを叫んだりして歩くのではなく、ただ静かに自分のペースで歩く。その名は「タンマヤートラ」。タンマは法、ヤートラは巡礼を意味するので「法の巡礼」と訳す。「みんなで歩く瞑想(めいそう)」もしくは「タイ版お遍路さん」とでも紹介できるだろうか。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(9) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
「死ぬ前に死ぬ」という生き方――カンポンさんに学ぶ
タイ語に「ターイ・コン・ターイ(死ぬ前に死ぬ)」という言葉がある。タイで高僧として知られるプッタタート師が生前に語られた言葉だ。奇妙なフレーズだが、その意味するところは「肉体の死を迎える前に、“この私が”という我執(がしゅう)を死なせる」ということである。だから「死ぬ前に死ぬ」ことは良きことであり、修行者の目指すところであるというのだ。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(8) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
共に暮らす、友と暮らす――ライトハウスの仲間たち
夫婦で大学講師を辞めて、瞑想(めいそう)修行場&農場である“ライトハウス”に移住して2年が経つ。息子も3歳半になり、元気に村の幼稚園へ通っている。「養鶏場の鶏ではなく、自由に成長する森のニワトリになりたい」。そう話す夫と共に、ここにやってきた。以前に比べ、現金収入は微々たるものになった。だが、野菜を作り、自給のオフグリッド発電や手作りの家を手掛ける――夫は、今では真っ黒な顔をしたニワトリになりつつある。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(7) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
タイの「いただきます」は、自己チェックリスト
手を合わせて、「いただきます!」「ごちそうさまでした!」。
日本の食卓でなじみのあるこのすてきな習慣。残念ながらタイでは見られない。タイでは仏教を信仰する人が多いのだけれど、日本語の「いただきます」や「ごちそうさま」に相当する言葉はない。私という存在が生きるために、他の動植物の生命をいただく。命の連鎖を思い起こさせる“いただきます”――この意味を丁寧にかみしめると、謙虚な気持ちが自然と湧いてくる。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(6) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
与えない、おくりもの
私は今、タイ仏教の翻訳をしているが、タイを訪れる前から仏教には興味があった。それには二つ理由がある。母が熱心な仏教徒であること、警察官だった父が交通事故で殉職したことだ。私が2歳の頃だった。この環境と体験がなかったら、おそらく私は、今タイにいない。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(5) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
苦しみの、その先――暮らしに溶けこむ出家のかたち
7月のタイは雨季真っ最中。そして約3カ月間のパンサー(安居=あんご)が始まる。パンサーとは、元々「雨季」を指す語だが、この期間、僧侶たちはそれぞれ一カ所にとどまって修行するため、修行期間そのものもパンサーというようになった。この時期に合わせて出家する人も多い。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(4) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
風と太陽のオフグリッド生活――不便さの中にある豊かさ
「オフグリッド」という言葉を聞いたことがあるだろうか。電力会社から送電網を引いて電力を賄うのではなく、自分たちで電気をつくってしまうという、いわば自家製電力のことだ。実は私たちが住むライトハウスは、完全オフグリッド。風力と太陽光。二つの自然エネルギーから、生活に必要な最低限の電力を賄っている。
気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(3) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
朝のタンブンライフ――「作って食べる」から「捧げて頂く」の暮らしへ
「さあ、今日もタンブンだ!」
私の朝食作りは、自分へのこの掛け声で始まる。私は今、ライトハウスという瞑想(めいそう)修行場の一角に家族で住んでいる。敷地内には、僧侶や在家修行者が滞在するという、ちょっと変わった生活だ。