利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(79) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

グローバル・スピリチュアリティ

よって、この紛争が解決するためには、政治的アプローチだけではなく、究極的には宗教間理解の進展が必要である。私は、およそあらゆる健全な宗教には、その基礎に地球全体に共通するスピリチュアリティ(霊性・精神性)が存在し、それが地域や時代の特性に合わせて開花・展開することによって宗教の個性が表れていると考えている。キリスト教・イスラームにせよ、仏教や神道にせよ、その儀式や習慣には、出現地域や時期の習俗が反映していることが多い。例えば神道における禊(みそぎ)は川や水の豊かな日本の風土が背景にあるし、日本仏教の法要には日本固有の先祖信仰が存在する。

だから、宗教間対話などによって、お互いの個性における相違を理解し合いながら、天・極楽・彼岸などさまざまな名で呼ばれる超越的世界の存在や、愛・慈悲といった共通の核心を確認して、協力や連帯を図ることが大切だ。まして、イスラームの聖典『クルアーン(コーラン)』に、旧約聖書の預言者たちや新約聖書のイエス・キリストが歴代の預言者として位置付けられて、ムハンマドが最後の預言者とされている。このように、イスラーム側の自己理解において、ユダヤ・キリスト教とイスラームとには、歴史的な親近関係が存在するのである。いわば兄弟姉妹のように見なされているのだ。だからこそ、先述したように聖地の場所が重なっているのも、本来はこの親近関係の象徴のようなものである。今では、ここに憎み合いが生じてしまっているが、本来は相互尊敬による友好関係を築き上げるのが理想なのである。

「和の国」の国際的な務め

従って、パレスチナ問題の解決には、政治的努力とともに、宗教的理解の進展と、多様な宗教の人々が連帯して平和共存への声を上げることが必要だ。カトリックのローマ教皇フランシスコが「攻撃を止め、武器を収め、テロリズムと戦争は何の解決ももたらさず、ただそこにあるのは多くの無実の人々の死と苦しみだけであることを知って欲しい」「すべての戦争は敗北である」として、イスラエルとパレスチナ間の平和を祈るように呼びかけた(10月8日、バチカン広場での正午の祈り)。このように、憎悪が憎悪を生んで戦争が拡大する悲劇を回避するために、それぞれの宗教の方式で祈り、可能な方法で停戦と平和回復を訴えかけよう。

そして日本はキリスト教国でもイスラーム国でもないから、「和の国」の理念を生かして、どちらかの側に与(くみ)するのではなく、停戦と和解へと積極的に働きかけるべきだ。日本政府は邦人の安全確保・国外退避やガザ地区への約15億円の緊急人道支援を表明した(10月17日)。が、同時に戦争を中止するように国際的に強く要請するのが、平和憲法の理念に即した「和の国」の務めだろう。

この点で、日本政府がイスラエルとパレスチナ双方と対話する「バランス外交」を行おうとしているのは、正しい。近時の日本政府の外交には疑問が多いが、両陣営の「正義」とは距離を置いて、和解へと働きかけることが実はグローバルな正義にかなっている。与野党を超え、国民も、政府が欧米側の立場に偏ることなく、文明の衝突を和らげて、両文明が平和共存へと向かうべく最大限の努力を行うように、叱咤(しった)激励すべきだろう。どちらかの陣営に肩入れしやすいキリスト教国やイスラーム諸国とは一線を画して、調和という日本の個性的理念を発揮して、この世界的悲劇に和らぎの光を投げかけたいものである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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