利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(77) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

核廃絶への背信行為

さらに、今年5月のG7サミット(主要7カ国首脳会議)は、広島で開催されたにもかかわらず、よりにもよって「核抑止論」を正当化する「広島ビジョン」が発表された。だからこそ、松井一實広島市長と鈴木史朗長崎市長が相次いで核抑止論の破綻を直視するよう、それぞれの平和式典で求め、核抑止依存からの脱却と核廃絶を訴えたのである。これらは、事実上は日本政府の方針への批判に他ならず、被爆による死者の声なき声を背景に一矢を報いたと言えよう。

岸田文雄首相の遠縁にあたるカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(91)が8月6日を前に帰国して平和記念公園に立ち「苦しみながら亡くなった人たちが、この土地に眠っているのです。そこに集まって核抑止論を話すなんて、死者の魂と被爆者に対する冒瀆(ぼうとく)です」と語った(朝日新聞8月7日付朝刊)のは、的を射抜いていて、事態の本質を語り尽くしている。すなわち、日本政府は遂(つい)に、「核なき世界」という平和国家としての日本の希求を明確に裏切り、広島の地を核保有正当化に利用するという、核廃絶への背信行為を行ったのである。

日本の参戦論

このような路線変更は、深刻極まりない世界的状況悪化を背景にしている。ウクライナではロシアとの戦争が継続しており、ロシアによる核使用の危険が憂慮され続けている。この事態は東アジアにおける戦争の危険も増大させ、日本政府は大規模軍拡方針を打ち出している。

さらに、自民党の麻生太郎副総裁は台北で講演して、台湾海峡で戦争を起こさせないために「日本、台湾、米国をはじめとした有志の国に、非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ」と発言し(8月8日)、鈴木馨祐(けいすけ)自民党政調副会長も「政府内部を含め、調整をした結果だ」と述べた。

日本が戦う覚悟を事前に示すということは、台湾有事の際には安全保障関連法における「存立危機事態」とみなして集団的自衛権を発動する覚悟を示すということに他ならないだろう。安全保障法制「成立」時にまさに危惧されたように、この法律により日本が対中戦に加わって戦争に突入するという可能性が赤裸々に政権のナンバー2によって公言されたわけである。これは、台湾有事に対する日本参戦論と言わざるを得ない。

平和国家の理念再興と友愛平和の祈り

このように日本政治は平和国家の理念と反対の方向へと滔々(とうとう)と突き進んでいる。日本国民というコミュニティーにおいて、戦後の反省や平和への誓いを忘却して戦前の方向へと回帰することを首肯する人々が多くなっているからである。このような歴史の逆行を阻止して再反転させるためには、コミュニティーの中で平和国家の理念を復興させる潮流を形成し、それを堅持する議員が増えるように選挙で政治的変化を生じさせるしかない。

現実世界では、どうしても戦火や危険に煽(あお)られてしまいがちだ。それに抗するためには、広く高い見地から、過去と未来を見て洞察する超越的視点が大切だ。戦争によって犠牲になった死者を追悼する8月は、現世を超えて過去と未来を省察する時となり得るし、平和志向的な宗教はそのための枠組みを提示する。そして、現実の政治的行動を促し支えるためにも、国境を超える友愛意識に基づいて、平和の維持と実現を祈ることは大きな力となり得る。8月という、家と国のコミュニティーの歴史を顧みる月に、それぞれのコミュニティーの故人たちを悼みつつ、地球史を鳥瞰(ちょうかん)するような高く広大な視点から平和の誓いを新たにし、一人ひとりが友愛平和の祈りを捧げたいものである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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