第52回「青年の日」 全国の青年がコロナ禍でも心をつなぎ、平和への行動

自分らしさの発揮 「青年の日」を前に 習学部部長 中村記子

「青年の日」のメーンテーマが昨年、『大河の一滴になろう。』に一新されました。一人ひとりの思いや行動は小さな一滴であっても、それはやがて大河――世界の平和へとつながっていく。メーンテーマにはそんな願いが込められています。

光祥さまは、今年の全国新任青年各部長教育で、「自分らしくいることが人の役に立ち、人の幸せになる。そして、自分も幸せになる――そのような佼成会に」と述べられています。『大河の一滴になろう。』とは、「自分らしく生きる」「自分らしく、思い切り生きる」ことだと私は受けとめました。それが、人の役に立ち、自分も人も幸せになること、と考えるようになりました。「自分らしく」は、素敵(すてき)な言葉です。みんなそうありたいと願っているのではないでしょうか。でも、一方で、「自分らしさって何?」「自分には自信がない」とも考えがちです。

中村習学部部長

昨年、「壮年(ダーナ)総会」に向けて取り組ませて頂いていた時のことです。『法華七諭(しちゆ)にのせて自分の気持ちを語ろう』をテーマに、担当スタッフが今、自分の感じている気持ちを探りました。その時のAさんの言葉が忘れられません。「三草二木(さんそうにもく)の譬(たと)え」から、自身を「小さな名もなき雑草と私」と表し、大きな木である先輩の陰に隠れ、「自分はここにいていいのか」と思いつつ、他人と比較して卑屈になり、何もできない、ダメだと思っている“自分”を語ったのです。それはAさんの正直な気持ちで、もがきながらも一所懸命に生きている心がその場にいた全員に伝わりました。私の心にズーンと響いて、温かい気持ちで満たされました。語るのはどんなに勇気のいることだったでしょう。等身大の自分を語れたAさんの晴れ晴れとした表情、みんなに自分の気持ちをそのまま受けとめてもらえた安心感が、今も私の心に蘇(よみがえ)ってきます。

「等身大の自分を知ること」が「自分の現在地」を確認することになるのだと思います。

私たちは、教えを頭では理解しても、それを素直に受け入れられなかったり、行動に移せなかったりすることがあります。「こうあるべき」「こうしなければならない」ということはたくさん知っているのに、その「知っていること」が、「素直に感じている心」に蓋(ふた)をして、自分の本当の気持ちを分からなくさせ、「等身大の自分」や「自分らしさ」を見失わせているからかもしれません。まずは正直な気持ちで自分の「現在地」を確認してみることが自分らしさの発見につながる――そんな思いで、私自身も自分を省み、模索しています。

さて、昨年のコロナ禍での「青年の日」は、皆さんが参集する形での活動は控え、主に個人を中心とした実践が展開されました。図らずも、それが『大河の一滴になろう。』というテーマを後押ししたように思います。

その中で、こんな話を伺いました。ある高校生の女の子は、チョコレートの売り上げの一部が、カカオの生産国であるアフリカのガーナの子供たちを児童労働から守り、教育の改善に役立てられるというプロジェクトを知り、チョコレートをたくさん買ってみんなに配り、その取り組みの精神を広めたそうです。彼女にとって、それまで遠い存在だったガーナという国が、実践を通して身近に感じられ、その国に貢献したいという気持ちが湧いてきたといいます。

彼女は、『大河の一滴になろう。』というメッセージに共感し、自ら行動を起こしたのです。私は、彼女が、今いる場所で菩薩となり、さらには、周りにも影響を及ぼしていけることを示してくださったのだと感動しました。一人の身近な実践が、そこに流れをつくっていく。そのような力を発揮することが、「大河の一滴」という言葉に込められた願いでもあります。

最後になりますが、もしかすると今、学校に行くことができない人がいるかもしれません。でも、そんなあなたにも力を貸してほしいのです。あなたがそっと微笑(ほほえ)みを返すだけで、人をホッとさせることができます。仏さまも、きっと微笑みで包んでくださっています。今年の「青年の日」を、それぞれが一歩を踏み出すきっかけにして頂けたらと願っています。

一人ひとりが『大河の一滴になろう。』の意味を問い、自分事にしていく、そんな「青年の日」になることを期待しています。