ラマダンを迎えたムスリムにバチカンがメッセージ(バチカン記者室から)

4月13日、世界のイスラーム圏でラマダン(断食月)が始まった。これを受けバチカン諸宗教対話評議会は同16日、全世界のムスリム(イスラーム教徒)に向けて、バチカン記者室を通して『キリスト教徒とイスラーム教徒――希望の証人』と題するメッセージを公表した。

この中で、ラマダンを機にこれまでを振り返り、「(新型コロナウイルス感染症の世界的な流行による)この長期にわたる苦悩と悲哀の日々を通し、私たちは神からの支援のみならず、(人間同士の)兄弟愛に満ちた表現と行動の必要性を痛感した」と指摘。こうした状況で、人類が最も必要としているのは「希望」であると訴えた。

さらに、「希望」は楽観主義を含むものの、それを超えるものであるとし、「楽観主義は人間の姿勢だが、希望は何らかの宗教的な確信を基盤としている」と二つの違いを説明。「神は私たちを愛し、摂理を通した配慮を示してくださるが、その方法は神秘に満ちたものであり、私たちが常に理解できるものではない」と説明している。

また、メッセージには「このような状況下で、私たちは、両親の愛に満ちた配慮(危険からの脱出と救いへの道)を確信している子供たちのようだが、それを完全な形で理解する能力を持ち得ない」という比喩表現が使われている。これは、法華経にある「三車火宅の譬(たと)え」にとても近い表現と言える。そして、この文章の後には、「希望は、各々の人の心に善が宿っているという確信から湧き出てくる」とも述べている。

この一節は、法華経を信じる人々から見ると、「全ての人に仏性がある」という確信の表現とも受け取れる。無限の愛や無量の慈悲の源泉である神仏が、人との出会い、歴史の流れ、世界の事象などを通し、あらゆる手段(方便)を使い、自らの子供である人類を世界的な危機から救い出そうとするイメージだ。神仏の慈しみの対象であり、心の中に「善を植え付けられた」人間にとって、「友愛と、その(友愛に関する)多くの表現が、全人類、特に、援助を必要としている人々にとって、希望の源泉となっていく」ということだ。

人類が同じ神によって創造され、愛されるがゆえに平等である、というキリスト教やイスラームの人間観は、神による創造の概念を除き、法華経の人間平等思想と同じである。バチカンからムスリムに宛てたメッセージには、「全ての人々と彼らの善意が、友愛の精神は普遍的であり、民族、宗教、社会、経済といった境界を超越していくことを、私たち信仰者に思い起こさせてくれる」と明記している。

しかし、メッセージは「希望は敵を持つ」と警告する。希望の敵とは、「神の愛と配慮に対する信仰の欠如」「私たちの兄弟姉妹に対する信頼の喪失」「悲観主義」「絶望」「根拠のない驕(おご)り」「自身の不都合な体験に基づく、公正でない物事を一般化する態度」などであると示す。

最後の段落では、ラマダンを機に「神への希望を強め、全ての兄弟姉妹たちを信頼しよう」と呼びかけた。「私たち、キリスト教徒とムスリムは、この世とあの世での生活に関する希望の使者、そして特に、困難や絶望に直面している人々に対して、希望の証人、回復者、建設者となっていこう」と記し、メッセージは結ばれている。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)