気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(30) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
音を立てて食べてはいけない! というマナーが先にあるのではない。一つ一つの動きに気づいていくと、自ずと音は立たない。もし大きな音がしてしまったら、それは気づきのない時だ。ただ、大きな音を出してしまっても、それに気づいてまた、一つ一つの動きに気づきを戻せばいい。自分を責めたり、相手を責めたりせず、再び「今、ここ」の動きに立ち戻って、ご飯を頂けば良いだけのことなのだ。
私はこの話を聞いて、子供を出産した後の日々を思い出した。初めての子育てで、授乳やおむつ替えなど、やるべきことが目まぐるしくやってくる。気づきを持って一つ一つをやっていたつもりだが、時折、焦りの心にはまり込んで、動きが雑になってしまう。部屋やトイレのドアをバタン! と雑に閉めてしまうことを、よくやってしまっていた。気づきのないまま閉まったドアの音は、そんなに大きな音でなくても荒々しさが漂う。そんな時、決まって息子は、「お母さん、今気づきがなかったよ!」とでも告げてくれるかのように、勢いよく泣いた。
〇〇してはいけない、とマナーが先にあるのではなく、気づきが先にあればマナーは自ずと備わってくる。マナーばかりに気をとられると、逆に動きも心も窮屈になり、何のためのマナーなのか分からなくなってくる。
中国の方たちのリトリートを通して、マナーの前に、まずは気づきを保つことが大切であると学ぶことができた。気づきなく、はまり込んでしまった時に出す音。それは、ハッと気づいて、「今、ここ」の自分に戻ることができる重要なサインなのだ。
プロフィル
うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。