こども食堂から築く共に生きる社会(2)  文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

地域に根を張り続けて

2018年、全国のこども食堂の数を初めて集計した私たちは、驚くべき数字に出会いました。「2286」。全国から寄せられた「うちの県には、今これだけこども食堂があるよ」という数を足し上げていったらその数字になったのです。

わが目を疑うとは、このことです。2年前の319という数字からは想像できなかった数でした。「増えているとは感じていたし、各地からそのような声を聞いてはいたけど、ここまで増えているとは思わなかった……」というのが、私の実感でした。

なぜこんな増え方をするのか。私は理由を考えました。

こうした分野で30年活動してきましたが、こんな事象に遭遇したことはありません。こんな増え方をするのは、政府が補助金などを出して増やすか、大企業が全国にチェーン店を増やすか以外には起こらないはずでした。しかし、こども食堂は、どちらでもありません。政府も企業も旗振りをしておらず、始めたからといってどこからもお金は出てこない。基本は手弁当で、準備から何から一切合切をこなさなければならない活動です。月に1回だって、継続して続けていくのは大変なことなのに、そんなことを誰に頼まれたわけでもないのに自ら始める人たちが、2年で2000件も増えている。「社会に根を持っている」としか説明しようがない、と思いました。

北海道から沖縄まで、日本のどこで暮らしていようが肌で感じる普遍的な課題があり、その課題に対応しようとしたらこども食堂になる、だから北海道から沖縄まで、お互いにまったく見ず知らずの人たちが、示し合わせたように一斉に活動を始めるのだ、と。では、その根とは何なのか。思い出すのは、ある駄菓子屋さんのおばあちゃんとの会話です。

その駄菓子屋は、30店舗中8店舗しか営業していないというシャッター通り商店街の中にあり、そして今やその市で唯一残っている駄菓子屋ということでした。「まったく儲(もう)からないし、私の代で終わり」と74歳の店主のおばあちゃんは話していました。実際、私が滞在した小一時間の間に、私たち以外の客は来ませんでした。

「昔は自転車を整頓させるのが大変でね」とおばあちゃん。地域の子どもたちが自転車で乗りつけて、店前にテンでバラバラに停(と)めて店の中に溜(た)まる。車の邪魔になったら、事故でも起こったらとヒヤヒヤした、と。そのおばあちゃんは、子どもが減り、商店街そのものがシャッター通りになり、このあたりもずいぶん寂しくなったと感じていました。難しいことはわからないし、できないけれど、地域のにぎわいをつくり出すために子どもたちと一緒にごはんを食べようということなら、いいことだ! と反応してくれました。こうした人たちなら全国にいる、と思いませんか? そう、それが「根」です。こう感じる人なら全国にいる。だから全国でこども食堂が続々と立ち上がるのです。(つづく)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。