こども食堂から築く共に生きる社会(5) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

すべての子どもたちを受け入れる「どなたでもどうぞ」の姿勢

貧困問題という社会の課題があることを世の中になんとか認めてもらいたかった私は、その実情を伝えるとき、できるだけ厳しい状態、過酷な状態、不遇な状態、悲惨な状態にある人を取り上げてきた、と前回書きました。そうでないと「怠け者の自業自得でしょ」と思っている人たちが納得してくれないからです。

それは、貧困とはすごく厳しく、過酷で、不遇で、悲惨な状態というイメージを強化することにもなりました。その結果、「しんどいところはあるけど、そこまではいかない子どもや家庭は、貧困ではない」となってしまいました。

しかし、日本などの先進諸国における貧困は「相対的貧困」と言って、たとえば、他の人たちと同じように進学できない状態もその一つです。飢えていなくても、病院に行けなかったり、体のサイズに合った服を買えなかったりすれば、それは貧困と言えます。でも「明日にも死にそうな人たち=貧困」だと考えると、「病院に行けないだけ、服を買えないだけでは貧困ではない」と思ってしまいます。私はその誤解に加担していたわけです。

だから、政府が日本にも貧困の問題があると認めた2009年以降、私の課題は、飢えていなくても大変、という相対的貧困状態にある人々への社会的な理解や取り組みをいかに進めるか、に移っていきました。でも、どのような取り組みを始めたらいいかはわかりませんでした。

そんな中で、世の中に広がり始めていたのがこども食堂でした。すごい、と思いました。
こども食堂は、この連載で繰り返し伝えてきたように、「どなたでもどうぞ」と、誰にでも開かれる形で運営されています。その意味では貧困対策ではありません。が、主宰者が子どもの貧困問題に心を痛めている人たちだというのもたしかです。みんなが食事をする風景を眺めながら、「これでおなかいっぱいになる子がいるなら……」と願っています。

そして、そういう場所だからこそ、深刻な課題を抱えている子どももやってきます。生活に困っていない子どもを「青信号」とたとえるなら、彼らは「赤信号」、貧困状態にありながら深刻な状況には見えない子どもは「黄信号」と言えます。私は、こども食堂の強みは、「みんなが青信号の顔をして行ける場所だから、黄信号の子も来られる」と表現しています。

このことは、逆の場合を考えてみるとわかりやすいと思います。もし、こども食堂が「貧困の子はいらっしゃい。食べられない子はおいで」という場所だったら、「行ってみたら?」とわが子に言える親が世の中にどれだけいるでしょうか。ほとんどの親たちは「うちの子が行くところじゃない」「もっと大変な人が行くところだろう」と思うのではないでしょうか。そしてそれは黄信号の子や家庭もそう思う。だから結局、黄信号の家庭の子は来られない場所になってしまいます。

これを「ラベリング(分類)によるスティグマ(差別、偏見)」と表現します。こども食堂は、このラベリングによるスティグマを回避した「発明品」でした。(つづく)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。