こども食堂から築く共に生きる社会(4) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

なかなか認められない貧困問題

前回、「みんなの中に大変な誰かを(さりげなく)包み込む」というこども食堂のアプローチは、自分からは相談に来ない人たちとの出会いを可能にした「発明」だという話をしました。そんなことを言っているのは日本中でたぶん私一人なのですが、私にとっては、それくらい大変な驚きでした。

私は長い間、貧困問題と向き合ってきました。こども食堂が世に生まれて10年ですが、私はその20年前からです。

当時、「日本には貧困問題はない」というのが、政府も含めた世の中のほとんどの人の理解でした。仕事はあるし、ふつうに働けば暮らしは成り立つ。働けないのは高齢者や障害のある人たちだけれど、その人たちにはちゃんと年金が用意されている。一人で生活するのは難しい人がいたとしても、支えてくれる家族はいるはず――だから、「暮らせない人」がいるとしたら、それは何かふつうでは考えられない「特殊」な事情があるからで、それは社会の問題というよりは、その人の問題、すなわち個人の問題だ、と。そして特殊な事情とは、しばしば「○○中毒」とか怠惰(たいだ)とか、人々が眉をひそめるような恥ずかしい事情だ、と考えられていました。

しかし、私が出会った「暮らせない人たち」は、そうしたイメージに合致する人ばかりではなく、その人の人生や背景をよくよく聞けば、それぞれに「理由」のある人たちも少なくありませんでした。そして何よりも、平成になったばかりの1990年代は、バブル経済が崩壊して日本社会が長い低迷期に入る時期であり、「暮らせない人たち」が急速に増えていました。

1990年代、私は東京・渋谷でホームレス支援に関わっていましたが、渋谷のホームレスは4年間で6倍に増えました。もちろん、さまざまな失敗や失態をおかしてきた人たちですが、失敗や失態なら私にだって相当あります。同じ失敗や失態をおかしても、かつてならばホームレス状態にまでは至らなかったような人が、そこまで落ちるようになってきていたのです。世の中の基盤が弱くなっていると感じました。そうでなければ、4年間で6倍になるという事態を説明できないのです。

だとすれば、それは社会の問題でもあるということです。私は「社会にも課題がある」と思い、そのように発言しました。ですが、大方の理解は「個人の問題でしょ」というものでしたから、なかなか社会の問題だと受けとめてもらえません。「怠け者の自業自得なんだから、社会のせいにするな」とよく言われました。

「社会にも課題がある」ということをなんとか認めてもらいたかった私は、「こういう人がいる」という事例を出すときに、できるだけ厳しく過酷で、不遇な状態、悲惨な状態にある人を取り上げてきました。少しでも「隙」があると、「ほら、その人が悪いんだろう」と言われて片付けられてしまうからです。しかしこれは、貧困ということがとても厳しく、過酷な状態のことを言うんだ、という世間の印象を強めることでもありました。ここに、私をこども食堂につなげていく問題意識がありました。(つづく)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。