こども食堂から築く共に生きる社会(10) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

誰かのために――その思いがバトンとなり、みんなが暮らしやすい地域に

前回、こども食堂は、私たちが「よい祖先になる」ために必要な取り組みで、それは私自身の経験から言ってもそう思うと書きました。今回は、その私の経験をお伝えしたいと思います。

私には障害のある兄がいることは以前の連載で書いたことがありますが、そのため、わが家にはボランティアさんが出入りしていました。兄のために来てくれるのですが、私もよく一緒に遊んでもらいました。その中に、有賀さんという人がいました。その方は、私が生まれて初めて出会った大学生でした。子どもから見ると大人ですが、親や学校の先生に比べると子どもです。子どもでも大人でもない新しい生き物のように思いました。有賀さんは、エラの張った四角い顔をしており、それも新鮮でした。彼のアパートに遊びに行ったこともありますが、土間で靴を脱ぎ、板敷きの廊下を通って各部屋に行くような、昔ながらの「下宿」で、貧乏学生のアパート暮らしというものを初めて知りました。何年もの間、私にとって大学生とは「有賀さんみたいな人たち」、大学とは「有賀さんみたいな人たちが行っているところ」でした。

高野さんという方もいました。この方は、私が生まれて初めて出会ったクリスチャンです。食事の前に「アーメン」と唱えるのを見たとき、私は「テレビドラマと一緒だ!」と驚きました。その高野さんは料理をする男性でした。私の父は一切料理をしませんでしたから、男性で料理をする人がいるというのも驚きでした。母親しか立ったことのない台所で、ややずんぐりむっくりとした体格の高野さんが料理している姿を初めて見たとき、とても奇妙な感覚になったのを覚えています。私は高野さんを通じて「男でも料理する人はいる。そういう人生もある」ということを知りました。

有賀さんにも高野さんにも、もう40年近く会っていませんが、私はお二人のことをよく覚えています。そして私は、自分が大学生になったとき、当たり前のようにボランティアをするようになりました。それは間違いなく、このお二人のようなボランティアの方たちの影響です。とてもよくしてもらい、大好きで、楽しかったからこそ、あのような経験を自分も他人に伝えたいと思いました。そして今、こうやってバトンが渡されていくのだと実感しています。

私自身がこうした体験をしているので、前回紹介した小学校3年生の女の子も、地域のために一肌脱ぐ大人になっていくのではないかと思うのです。そして、有賀さんや高野さんが小さい頃の私と兄にとてもよくしてくれた恩人、「よき祖先」であるように、滋賀のこども食堂の方も、その子にとっての「よき祖先」になるだろう、と思うのです。

近年、「持続可能な開発目標」(SDGs)について話題にするとき、環境問題を挙げて語られることが少なくありません。ペットボトルをリサイクルする、食品ロスを減らす、使い捨てをしない……そうした生活を実践することはとても大事なことです。しかし、「よき祖先」になるための取り組みは、それだけではありません。誰かを支え、その誰かが他の誰かを支えるきっかけになるようなバトンの受け渡し、人と人とのつながりをつくること――それも立派なSDGsだと思います。(つづく)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。