こども食堂から築く共に生きる社会(11) 文・湯浅誠(認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長)

画・福井彩乃

「居場所」の多い社会によって、安心を感じられるのは誰なのか

2022年も、こども食堂の数は増加し、前年から1000カ所増えて7000カ所になりました。全国の中学校の数は約1万校で、年々、統廃合による減少が続いていますから、こども食堂が今のペースで増加した場合、2、3年後には、日本は中学校よりも、こども食堂の方が多い社会になります。

そのような社会は「居場所」の多い社会です。そして、居場所の数が多いほど、人の自己肯定感は高まりますから、そうした社会は人々が元気になります。元気に、ごきげんに暮らせる状態を「well-being(ウェル・ビーイング)」と言います。

居場所は、つながりがなければ生まれません。建物をつくったら居場所ができる、というものではないのです。自分を受け入れてくれる同級生や先生がいて初めて、学校がその子にとっての居場所になります。学校があっても、いじめられていたらそこは居場所ではありません。

私たちの社会では、そのようなつながりが減ってきました。だからこそ、人々はつながりをつくろうと立ち上がっています。そして年間1000カ所のペースでこども食堂が増え続けているのです。傷つき傷んだ日本社会を、市民の方たちがあちらこちらで修復している――そんな映像が思い浮かびます。

時に、「居場所は本当はないほうがいい」という言い方をされることがありますが、それは誤解です。居場所のない社会は、すべての人にとって地獄です。誰にでも居場所はたくさんあったほうがいい。朝起きてリビングに行ったら、家族が「おはよう」と声をかけてくれて、学校や職場に行けば同級生や先生、同僚や上司が温かく迎え入れてくれる。放課後には一緒に過ごせる友人がいたり、居心地のよいお気に入りのお店があったりする。人は一日にいくつもの場を経験します。そのすべての場所が自分にとっての「居場所」と感じられるようなところであるといい、という考えは、それほど難しい理屈ではありません。

なので、時に「第三の居場所」と言われるこども食堂をはじめとする地域の居場所は、家庭や学校と対立する場ではありません。たしかに、どこにも居場所のない人にとって、このような場は切実に必要です。ですが、どこかに居場所がある人にも、第三、第四、第五、第六の居場所はあったほうがいい。一つは必要ということは、二つは不要ということではありません。「駄菓子屋があれば学校はいらない」という人はいないでしょう。そこを間違えないことが大事です。家庭、学校だけでなく、それ以外の第三の居場所が地域のあちらこちらにある、そうした地域と社会を目指したいものです。

そして、そこにおいて、宗教施設の果たす役割は重要です。連載の最後となる次回には、そのことをお伝えしたいと思います。(つづく)

プロフィル

ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業。社会活動家としてホームレス支援に取り組み、2009年から3年間内閣府参与を務めた。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。これまでに、「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018を受賞した。