「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(8) 文・黒古一夫(文芸評論家)

ベトナム戦争と高度経済成長の「闇」

戦後の経済史が私たちに教えてくれるのは、日本が朝鮮戦争の特需によって戦後復興を軌道に乗せたことである。さらに、1964年の東京オリンピックに向けた開発と60年代に入って激化したベトナム戦争の特需によって高度経済成長を成功させ、戦前には考えられないような「豊かな生活」を人々が享受するようになった、ということである。

朝鮮戦争にしてもベトナム戦争にしても、戦場が近接のアジアであったことに加えて、日米安全保障条約という「軍事条約」を結んでいたことから、日本は必然的に両戦争に深い関わりを持っていた。具体的には、日本が戦争に必要なさまざまな物資の調達地であったこと。加えて、死と隣り合わせの戦場から一時休暇で在日米軍基地に帰還した将兵に「休養と慰安」を提供する場だったことから、特にベトナム戦争によって日本の高度経済成長は下支えされたといわれている。

私は、今でも大学へ入る1年前の64年8月のことを思い出す。今では常態化してしまったが、当時ヒロシマ・ナガサキを経験した日本国民の「核」意識を逆なでするように、神奈川県横須賀市の米軍基地に原子力潜水艦が寄港し、全国各地で大規模な抗議行動が連日繰り広げられたのだ。また、大学3年時の正月、長崎県佐世保市の米軍基地へ原子力空母エンタープライズが入港するのを阻止するため、佐世保市民と共に多くの学生・労働者が抗議行動に立ち上がったことも、私の記憶に強く刻まれている。

横須賀への原潜寄港も、佐世保への原子力空母寄港も、65年2月に始まったアメリカ軍の「北爆(北ベトナムへの無差別爆撃)」に象徴されるアメリカのベトナム戦争への本格的参戦と、その戦争と日本とが深い関係にあることを如実に示す出来事であった。そうであったが故に、「殺すな!」を合言葉とするベトナム反戦運動が、学生や市民の運動として全国的に展開されたのである。

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