法話

唯仏与仏(64) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

私は、大聖堂での会員さんの体験説法をいつも聞かせてもらいますが、最初のうちは「こんなに苦しい状態で、どうやって救われていくのだろうか」と思う話もしばしばあります。ところが、話が進んでいくと、先輩から教えられたとおりに自分が心を切り替えて、相手の気持ちを思いやって、相手の喜びを考えて行動するようにしたら、家庭が円満になったり、事業が発展したりというように、その人が抱えていた「苦」が解決するだけでなく、「苦」そのものに感謝できる心になっていくことが多いのです。

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唯仏与仏(63) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

お釈迦さまが「人生は苦なり」とおっしゃっているように、私たちの人生に「苦」はつきものです。経済的な苦しみもあれば、人間関係での悩みもあり、体のどこかが激しく痛むといった「苦」もあります。そういうさまざまな「苦」を乗り越える秘訣は、喜びの心をもつことです。いつも喜びの心で行動していると、喜びが喜びを呼んで、すべてがありがたくなっていくのです。

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立正佼成会 庭野日鑛会長 11、12月の法話から

昨年11、12月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

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唯仏与仏(62) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

法華経の「譬諭品」にも、「諸(もろもろ)の患難(げんなん)多(おお)し」と説かれていますが、この世界は困難な問題が次々に起こるようになっています。ですから苦労が多いはずなのに、よくよく自分をふり返ってみると、むしろ恵まれた状態にあることのほうが多いのに気づくことでしょう。

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年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

反省創造しよう

コロナ禍は、人間が真に大切にすべきものは何かを見つめ直す機縁

あけまして、おめでとうございます。

昨年は、新型コロナウイルスの感染が拡(ひろ)がり、日々の生活に大きな影響を及ぼしました。感染によってお亡くなりになった方は、全世界で約百六十万人を数えます。衷心より哀悼の意を表したいと存じます。

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唯仏与仏(61) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

近ごろの人は、よく「自我の確立」ということをいいます。それはいちおうもっともなことかもしれませんが、「素直」というのはそれより、ひとまわりもふたまわりも大きい、いやもっとかぎりなく大きいあり方なのです。

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唯仏与仏(60) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

草花にたとえていえば、現在の自分は茎です。枝葉や花は子どもです。そこになる実は孫であり、その実から曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)もできるわけです。ところで、わが身である茎の元をたどってみれば、必ず根があります。つまり、ご先祖さまのお陰で自分があるのです。

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唯仏与仏(59) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

聞き上手の人は、相手の話すことの本質に耳を傾けられる人です。相手がこちらのためを思ってほんとうのことをいってくれるのですから、それをまっすぐに聞くとたちまちに、仏さまから大きなご守護がいただけるのです。それが、聞き上手の功徳です。

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唯仏与仏(58) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

「無量義経(むりょうぎきょう)」の「十功徳品(じゅうくどくほん)」に、「愛著(あいじゃく)ある者(もの)には能捨(のうしゃ)の心(こころ)を起(おこ)さしめ」とあります。「能捨」というのは、「能(よ)く捨てる」ということです。さまざまな欲や、自己中心にしがみついていた手をパッと開いて、それまで大事にしていたものを捨ててしまう。こうして、「とらわれ」から解き放たれた人が、菩薩としての喜びをいただけるのです。

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唯仏与仏(57) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

ただ、自分が大安心をもって生きるだけでは、「菩薩」とはいえません。まわりの人たちの幸せを願い、そうした行ないを実践してこそ「菩薩」、すなわち真の在家仏教者といえるのです。

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