立正佼成会 庭野日鑛会長 11、12月の法話から

昨年11、12月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

これまでを見つめ直す

コロナ禍で、私たちは外出を控えるなど、日ごろ当たり前に思っていたことを自粛してきました。

外に行かないということは、交通費を省けます。他にも省けることはたくさんあります。また、しなくてもいいことを、いろいろしていたという反省もあります。

「省」という字には、「省(はぶ)く」と「省(かえり)みる」という二つの意味があります。自分を省みて、「本当に無駄なことをしていた。やはり省いた方がいい」と思えることが、日常生活の中にはたくさんあります。もっと省みるべきことは省みる、省くものは省く――そういうことができたのに、という感じがしてならないのです。
(11月1日)

自らを躾け、身も心も美しく

「躾(しつけ)」という字があります。これは日本でできた文字ですから、国字です。「身体を美しくする」「人間のあり方、生き方、動き方を美しくする」という意味があります。

日本では、食事をする時も、お箸をどういうふうに取るか、お椀(わん)の蓋(ふた)をどう取るかという作法があります。そういうことも、一つの「躾」です。作法通りにすると、お箸の取り方もお椀の取り方も、合理的にスムーズにできて、見た目も美しくなります。

昨日の芳澍祭(芳澍女学院情報国際専門学校の文化祭)では、茶道、華道のお稽古の様子を「Zoom(ズーム)」で見ることができました。私はそれを見て、学生に「躾」の文字についてお話ししました。

生活の中で、人がどう動くか――動いた人間には心がありますから、「どういう心で動いたか」が、形としてそこに表れてきます。「躾」は、「身」と「美」という字でできています。人間は体を持っていますが、心が中心ですから、作法通りにしていくと美しく見え、また心も美しくなっていくのです。それは、道徳、宗教にもつながります。

私たちが生きる上で、身を美しくする、躾けるというのは、とても大事なことです。芳澍は、専門的な知識を得て、やがて職に就くための専門学校です。同時に、人間としての成長を促し、体も心も素晴らしい人間になってほしいという願いのもとに創立されました。

人間が獣(けもの)、獣(けだもの)でなく、本当に人間らしい人間になるということは、心が向上すると同時に、日ごろの動き方も美しくなることです。それが芳澍生として大事である、とお話ししました。
(11月1日)

幼い頃から家庭で学ぶ

「素読」は、人間の頭脳の一番純真な時に、大事な教えを刻み込むという一つの教育のあり方です。幼い頃の学びは、分からないままに暗記するわけですが、だんだん大きくなっていくと、その意味が分かってきます。学校に入る前の家庭での躾、教育がいかに大事かを、そうしたことからも教えられます。人間の純真な時、想像力、連想力、記憶力の高い時に、素読や学問を通して、人間の一番大事なことは何かを教育していく大切さを痛感させられるのです。

「子供だから、そんなことをしなくてもいい」――親がそんなつもりでいるのは、本当にもったいないことです。一番記憶力の良い時に大事なことをしっかりと教え込むのは、人間を育てていく意味で、とても参考になる、大切なことだと思います。
(11月15日)

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