だれしも自己の向上のために生きているのですが、それは仏教でいえば「仏になる」ためにほかなりません。ただ、それを自覚していないだけなのです。「仏になる」というと、抹香くさいことのように感じるかもしれませんが、「仏になる」というのは「目ざめた人になる」ということで、「人間は何のために生きるのか」「人間はどう生きるのが正しいか」ということを、はっきりと自覚することにほかなりません。
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私たちが果たしていく「お役」のなかで、いちばん大きな「お役」は何かといえば、仏さまから託された「お役」でしょう。
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「仏さま」というと、私たちはまず「久遠実成(くおんじつじょう)の本仏(ほんぶつ)」やお釈迦さまを思い浮かべますが、ご先祖さまも「仏さま」なのです。
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法華経の教えを行じる功徳は、自分のほうからささげる気持ちになって、「人さまに喜んでいただきたい」という菩薩の心が湧き起こってくることです。まだそういう気持ちのない相手を発心させてあげ、法華経の軌道に乗せてあげることが、相手も自分も、ともどもに幸せになっていく条件なのです。
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何か不都合な問題に直面したとき、だれしも自分の非は認めず、まわりのせいにしたがるものです。そして、そういう発想が不幸せを招いていることに気がつかないのです。ところが、「すべて自分」と受けとめると、逃げ腰になってはいられません。そして、「仏さまは、乗り越えられない問題は出されない」と信受すれば、その問題に積極的に対処できます。つまり、逆境であればあるほど、その「縁」によって自分の日ごろのあり方が反省できて、自分を深めていけるのです。
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「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぽん)」に、「慈眼(じげん)をもって衆生(しゅじょう)を視(み)る」という言葉があります。慈悲のまなざしで人びとを見るという、とても大事なことが教えられているわけです。
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ご命日に会員さんの体験説法を聞いていても、離婚寸前までいった話がよくあります。けれども、そういう場合も夫婦のどちらかが、相手の気持ちを酌(く)みとろうと努力するなかで、二人のあいだにあたたかな気持ちの通い合いがとりもどせて、前にもまして幸せな家庭になれたという体験が多いようです。
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人間には「自分が得をしたい」という「煩悩(ぼんのう)」があって、ふだん自分のことに精いっぱいで暮らしていると、人さまのことまで気持ちがまわらないのです。そして、自分一人の力で生きているかのように考えてしまうのです。
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