気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(51) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

クーラーも扇風機も冷蔵庫もない。ただ、このアシュラムは標高が高い場所にあるので、一年中、比較的涼しく快適に過ごせるし、森の恵みを受け、毎日澄んだ空気に触れて深呼吸ができる。太陽光発電は、陽射(ひざ)しが弱い曇りや雨の日は発電量が減るので、当然、使える電力量が少なくなる。どの電化製品がどれだけの電力を消費するかなんて、都市部で暮らしていた頃には全く気にも留めなかった。だが、太陽光発電に頼るようになり、電力が足りないと使えない電化製品があることを、身をもって知るようになった。太陽の恵みが今の生活に直結していることを肌で感じ、晴れの日は晴れの日の恵みを、雨の日には雨の日の恵みを心から実感できるようになったのだ。

また、夜は、電気を使いきると暗くなるので、夜遅くまで起きることがなくなった。しっかりと眠れるので、体の疲れが取れるのも早くなった。いつも自然の緑がいつも身近にあるので、心を落ち着かせて仕事ができることにも気づいた。

6年前に夫婦で大学講師を辞め、首都バンコクからタイ東北部へ移住した

使える電力量が限られている生活は、一見すると不自由に見える。しかし、そのおかげで、太陽と共にしっかりと動き、太陽が沈んだら休むという生活が身につく。頑張って生活を改善しようとしなくてもいいのだ。ただ、移住した頃は、仕事の最中に電気不足になってイラっとしたことがあった。しかし、それは、自分の心を観察できる瞬間でもあった。〈自分はこんな些細(ささい)なことで不満を感じるのだな〉〈自分の行動をどう変えれば、限られた電気の中で精いっぱいのパフォーマンスが果たせるだろう〉と考えるようになった。限られているからこそ、その瞬間瞬間をどう大切にできるか――自然という先生が、私を善き方向に導いてくれているように感じていた。

そうしているうちにだんだんと、田舎生活で感じるさまざまな違いが、心の不満の源ではなくなり、楽しめる材料にあふれているように思えてきた。〈こんな違いがあるのか、面白い!〉。そう受けとめられるようになった時、本当に私の新しい生活がスタートしていたのだ。最終回ではその様子についてお届けしたい。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。