気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(42) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
カムキエン師の生き方と毒矢のたとえ――社会活動と瞑想修行
雨安居(うあんご)。今年もその季節がやってきた。タイの僧侶は雨季のこの期間、定住する寺を定めて修行に専念する。8月は、スカトー寺に縁のある僧侶や在家者たちにとって大切なイベントが催される。
スカトー寺前住職の故カムキエン・スワンノー師の遺徳を偲(しの)ぶ催しである。
カムキエン師は、2014年8月23日に78年の生涯を閉じた。私がタイ仏教に興味を持つきっかけになった日本人僧のプラユキ・ナラテボー師、この連載でもよく登場するパイサーン・ウィサーロ師、スティサート・パンヤーパティポー師、カンポン・トーンブンヌムさんらの師匠である。今から30年ほど前は瞑想(めいそう)指導者としてよりも、開発僧(農村開発や森林保護などの社会活動に従事する僧侶)として注目された。私自身も、「開発僧」という言葉に興味を持ち、カムキエン師の存在を知った。
ただ、深く知れば知るほど、カムキエン師の実践は、単なる僧侶の社会活動ではないことに気づかされていった。師は社会を良くしたいから社会活動を始めたのではなかった。法を学び、極めるため、瞑想の実践に励もうと自然豊かな森の寺に移動してみると、そこで人間を含む多くの「苦しんでいる生き物」と出会った。その苦しみを減らすために、昼間に子供たちを預かる保育園を寺の敷地内につくったり、村人の貧困解消のための米銀行をつくったり、森林伐採を食い止め植林活動などに着手したりされたのだった。大きな目標を掲げて行うのではなく、出会った、目の前にある苦しみを減らすために、ご自身で実践できることをなさっていった。
社会活動はあくまで補足的なものであり、心の開発(かいほつ)、つまりブッダの教えを実践することによって、苦しみから解き放たれる道を自他が共に歩むことを主眼とされていた。はじめは修行に対して関心を持たなかった村人たちも、カムキエン師の慈愛と誠実な姿勢に導かれ、少しずつ関心を向けていくようになる。カムキエン師の心は受け継がれ、今では村人だけでなく、都市部や海外からも修行に訪れる人が後を絶たない。