気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(38) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

大切なのは、師の言葉を借りれば、「体を心の家とする」ということ。つまり、私たちが持っているこの体を「心の家」と一つに見立て、姿勢や、簡単な動きなどに、ただただ気づいていくというものだ。

アシュラムでの読経の様子

アシュラムでは「手動瞑想」といって、手を動かしながらの瞑想を推奨しているが、これは、手の動きを通して体に気づいていく練習の型、なのである。体の動き一つ一つに意識を向ける――その気づきの瞬間、瞬間、人は思考や感情にはまり込んでいかない。しっかりと体が心の居場所となり、体と心が共にそこにある。思考や感情が生じても、大丈夫。でもなるべく早く体に気づきを向ける。

生身の体に、しっかりと気づきを向けていく。それは非常にシンプルな実践だが、もたらされるものはパワフルだ。心に不安や怒りが生じやすい今は、「体に戻ろう」と思い起こして実践することで、体が心の依りどころとなってくれる。

今、皆さんの中には、家にいる時間が急に増えて、戸惑われている方も多いかもしれない。テレビやインターネットを通じて入ってくるニュース、さまざまなソーシャルメディアからの情報に接し、心は常に家の外のことばかり追い掛けてしまってはいないだろうか。あるいは家にいたとしても、過去の出来事に関する後悔、これから生じる未来への不安など、「今、ここ」にいられず、すぐに思考や感情にはまり込んでしまっているかもしれない。体は家にいても、心は落ち着かずにいる――私も師の説法を聴くまで、そうだったから、多くの人の気持ちはよく分かる。

本当に心安らぐ家は、どこにあるだろう? 瞑想の観点からすると、それはあなたが住んでいる家のことではない。あなたの生身の体に心が寄り添った状態のことである。体という安全基地に心が戻ること。体は、いつでも“あなた”と共にいてくれる。体は、「おかえり」と、いつでも迎え入れてくれる家のようなもので、心が体にしっかりと戻り、共にある時間をつくること。それが今、私たちに本当に求められる安らぎの家なのではないだろうか。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。