気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(37) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

思い通りにならないことからの学び――山火事が教えた心の持ち方

今年に入って4日目のこと。私が住む瞑想(めいそう)修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」の隣の畑が火事になった。火の勢いは強く、アシュラムの一部の敷地にまで侵入し、皆で協力して消し止めた。幸いにも、人や家への被害はなかったけれど、タイでは特に乾季になると山火事がよく起こるため、またいつ起こるとも限らない。

さらに別の場所でも火事は頻発している。実は、アシュラムと姉妹関係にあるマハーワン寺。その寺があるプーロンの森でも、先日火事があった。そこは、スカトー寺住職のパイサーン・ウィサーロ師をはじめとしたお坊さまたちが、森林保全に努めている地域だ。しかし何度も火事に遭っている。考えられる原因は、村人が森の中にいる動物を追い立てる狩りのため、あるいは、野焼きをして牛のエサである草を生えやすくさせるためとのことだが、正確なところは分からない。

「怖いっ!」。火の粉が見えたり、パチパチパチという枯れ木が焼かれる音を聞いたりした瞬間、私はそう思った。すぐに思考が飾り立てられて「家が焼かれるかもしれない!」とも思った。ハッとわれに返り、今自分がなすべきことを考え、水をくんだり、ホースで水をまいたりと、最善の対応をすることはできた。しかし消そうとして火に近づくと、当然ながら熱くてモワッとした空気が肌に伝わる。距離があったとはいえ、気づきなく恐れにはまり込んだら、本当に苦しみそのものに「なってしまう」と感じた。仏教ではよく、心に生じる煩悩(ぼんのう)のことを火にたとえて語られる。貪(とん=貪り)、瞋(じん=怒り)、痴(ち=無知によるはまり込み)。勢いよく、どこに広がっていくか分からない火はまさに、煩悩のようだ。気づきという水を注がなければ、容易にはまり込んで燃え盛ってしまう。

パイサーン師

パイサーン師は、仲間と共に山火事を消す作業を自ら率先してされながら、心の持ち方についても説法なさっている。先日は、たとえ何回被害があろうとも、私たちが協力してできることをやり続けていく大切さを伝えられた。なすべきことは精いっぱいやり、結果については執着しない。

もし思い通りにならない結果であっても、また善き原因となることを一つ一つ実践していく。身の行いは精いっぱいやって、心の行いは深刻にならない。この姿勢は、パイサーン師ご自身のあらゆる活動に通じている。こう何度も火事に遭うと普通なら諦めそうなところなのだが、忍耐強く、かといって深刻になることなく、歩みを続けているのだ。

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