気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(16) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
「なくても大丈夫だ」という感覚を育てること。あれがなければ生きていけない! と追い立てられるような生活から離れた環境に置かれることで、生きる上で本当に必要なものが何かが、頭ではなく身で分かる。あったら便利だけれど、なくても苦しむことはない。そうした力を若い時期に身につけるのは、物質的豊かさに翻弄(ほんろう)されがちな現代に生きる私たちに必要な「心の免疫」となるのではないだろうか。
少し話は変わるが、この3月にライトハウスで、宗教をテーマにしてタイと日本の大学生がワークショップを行った。私は通訳兼ファシリテーターの一人として参加したが、あるタイの大学生の言葉が印象に残っている。「宗教と私」というお題でシェアリングをした時のこと。彼は3カ月の一時出家の体験を語った。その体験は誇りであると笑顔で語った後、さらにこう言った。
「実は、出家前の僕は、最新のスマートフォンが売り出されると、何も考えずにすぐに飛びついていたんですね。でも出家してから、あれ? 別に新しいものでなくても、十分使えるじゃん! って気づいたんです。だから、僕は今、最新のスマートフォンではなく、以前の機種を使い続けていますけど、全然苦しくないんです」
なるほど! と思った。「あれば便利で楽だけれど、なくても大丈夫」を育む。これが戒(かい)を守り、シンプルライフを実践する出家生活のポイントだと腑(ふ)に落ちた。「なくても大丈夫」が育まれる環境――タイの一休さんが現代に示してくれる姿の中には、想像する以上に深い学びがある。
プロフィル
うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。