『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(6) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

祈りの月における公共的な宗教協力

8月は日本人にとって共に祈る時期だ。伝統的なお盆があり、戦後には二つの原爆の日と終戦記念日が加わった。そこで、先祖の供養と戦没者の慰霊を行う月となったのだ。日本人はしばしば集って家族を考え、広くは戦争と平和の問題に思いを致して、一家の繁栄と日本や世界の平和を祈念する。家族と国民というコミュニティーの一員として祈るのだ。

伝統的な民間の信仰では、お盆は、生ける者たちだけにとってではなく、目に見えない人々、つまり死者たちにとっても大事だと考えられてきた。ご先祖さまたちが、この時期には子孫たちと交流するために待っているから、お墓参りをするのだ。同様に、戦没者たちは原爆の日や終戦記念日に、人々が祈りを捧げてくれるのを期待しているということになるだろう。

よって、靖国神社や国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑などにおける慰霊行事は重要な意味を帯びる。その方式は、政治問題にもなる。もっとも、政治的論点だけに注目すると祈念そのものの意義を見失いかねない。まず念頭に置くべきことは、死者たちとの交流の時ということである。

この伝統的な意味が分からない若い世代が増えている。お盆や慰霊は単なる習慣とか政治的行事と思っている人も多いだろう。せいぜい先祖や戦没者たちを回想し、生きている人々が親しく会ったり、平和を願ったりするための機会とだけ思っているかもしれない。

それらも重要な要素ではあるが、本質はそこにはない。お盆には、墓前に飲み物やお菓子、お花などを捧げる。なぜか? そこに祖先が待っていて、それらを喜んで味わったり、愛(め)でたりすると信じられているからだ。目には見えない人々に祈って、心の中で語り掛ける。それによって、死者たちが慰められたり、喜んでくれたりする。逆に他家ではお参りがあるのに、自分たちのところだけ誰も来ないとがっかりして寂しく思う。待ちぼうけをくらわされるのと同じだ。

――そう考えられてきたからこそ、この時期に人々は墓前に集い、さらには戦没者の慰霊を行ってきた。手を合わせて祈るのも、それによって目に見えない世界との橋が架かると思われているからだ。

画・国井節

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