利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(5) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

宗教における対話の重要性(後編)

(前編はこちらから)

「キリストや仏陀(ブッダ)も対話によって教えを説いた」と言うと、仏陀だからこそ対機説法ができたのだと反論する人がいる。凡人たる私たちにはそれは無理だから、決まった内容を話すことしかできない、というのだ。

これも分からないではない。心に届くような対話をするためには、相手の思いや心の機微を理解して、それに即した言葉を交わしていくことが必要だ。確かに簡単なことではない。忙しくて心に余裕がない人に、無理に教えを話そうとしても嫌がられるだけだから、時や場所を選ぶことが必要だ。科学的な発想が強くて宗教を迷信だと決めつけている人に昔の説話を話しても、心に響きそうもないから、論理的に語った方が効果的だろう。人やTPOに応じ、相手が求めているテーマに即して臨機応変に話すことが望ましい。

でも、難しいからと、対話をあきらめて一方的に話すというだけでは、元々関心のある人だけにしか伝わらなくなってしまう。だから「坊主バー」などの試みも始まっている。現代では、宗教に偏見があっても実は心に渇きがあり、本当は人生の意味を求めている人がたくさんいる。そのような人たちに新しい世界の扉を開けるのが対話なのだ。

たとえば、目の前の人が仕事や恋愛や家庭などについての迷いや悩みを口にした時に、どうすればいいだろうか。特にその人が思いつめている時には、安易な言葉は掛けられない。

まずは聴くことだ。普通に「聞く」というよりも、耳を傾けてしっかりと「聴く」――この傾聴は、カウンセリングでも重要視されている。悩みを聴いてもらうだけで、癒やされて、自分で答えを見いだしていく人も少なくはない。今の忙しい世界では、周囲に「聴いて」くれる人がいないので、一人で苦しんで鬱(うつ)になる人も多くなる。

ミヒャエル・エンデの童話『モモ』は、聴くことができる稀有(けう)な少女の物語だ。彼女がじっと座って注意深く聴いているだけで、相手にはいい考えが浮かんできたり、意思がはっきりしたり、勇気や希望や明るさが湧いてくるのである。

でも、聴くだけでは対話ではない。聴きつつ同時に考える。インターネットの発達によって情報を入手することが容易になっているが、その半面で現代人は深い思考力がしばしば弱ってしまっている。だから悩みについても、実はたまたま接した考え方に頼ることになりがちだ。でも、世の中に流れている情報には、底の浅いものが多い。

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