志を立てるのに遅すぎるということはない 江戸時代の“立志論”に学ぶ 往来物研究家・小泉吉永氏

講演する小泉氏(「Zoom」の画面)

あなたはなぜ学ぶのか、なぜ働くのか、なぜ信仰するのか――10秒以内に答えられますか? パッと浮かんだ言葉が、自分の現状を表していると言っていいでしょう。もし自身の「志」を即答できたなら素晴らしいことです。

志とは、「心に思い決めた願いや目標」を指しますが、なぜ生きる上で志を立てることが大事なのでしょうか。

その意味を、江戸時代の庶民に親しまれた教訓書などから探ってみましょう。私なりに、江戸時代の“立志論”の要点を五つにまとめてみました。

一つ目の大事な点は、「志を立ててから学べ」です。江戸前・中期の儒学者である貝原益軒(えきけん)は、「学問は先(ま)ず志を立つるを以(もっ)て本とす」(『大和俗訓=やまとぞくくん=』)という言葉を残しています。志とは、「心の行くところ」ですから、「正しい道を行きたいと思う心を常に持つこと」が基本になり、そうすれば「怠らずに実行し続けることができる」という意味になります。志があれば、学問の半分は成就したも同然と教えた学者もいます。

二つ目は、「志ある者は、全てが学びとなる」という教えです。儒学者の佐藤一斎(いっさい)は『言志録(げんしろく)』で、「緊(きび)しく此(こ)の志を立てて以て之を求めば、薪(たきぎ)を搬(はこ)び水を運ぶと雖(いえど)も、亦(また)是(こ)れ学の在る所なり」と説いています。確かな志があれば、薪や水を運ぶような平凡なことからも学びを得られるという意味です。反対に、そこに志がなければ、学ぼうとしても何も身につくことはないでしょう。


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三つ目は、「志が邪念・妄念を一掃する」ということです。これも佐藤一斎の言葉で、『言志後録(こうろく)』に詳しく記されています。一つの志が確立していれば、つまらないことを考える暇もなくなるというのです。

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