栄福の時代を目指して(19) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

「徳義ナショナリズム」への再定義――「極右ナショナリズム(超国家主義)」に抗して
この言動は、まさしくポピュリズム政治家の典型だ。イメージアップにとても気を遣い、人気取り政策に熱心なあまり、エネルギー危機が到来しても、国民に真実を知らせず、節約を要請せずに石油備蓄を再三放出し、ガソリンに補助金を出して、財政危機を昂進させている。
本連載第14回では、高市ポピュリズムを「上からのポピュリズム」と「下からのポピュリズム」の結合による「混成的ポピュリズム」で、それは「混成的ネオ・ファシズム」であると説明した。戦前の日本ファシズムは、極右がナショナリズムを煽(あお)って、戦争に突入した。戦後の代表的政治学者・丸山眞男はそれを「超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)」と呼んで、「健全なナショナリズム」と区別した。現政権が「国旗損壊罪」を新設しようとしているのは、まさしく「ウルトラ・ナショナリズム」、つまり「極右ナショナリズム」の兆候である。この極端な「ナショナリズム」は、軍事化・戦争を進め、国家への動員と献身奉仕を強要することで国民に忍耐を強いて、最終的には多くの人々を死なせる。エネルギー危機の昂進を放置して国民の不満を抑圧するようになると、「欲しがりません。勝つまでは」という戦前の標語がそのまま当てはまる時代になりかねない。
これに対して人々の生活・生命を守るために必要なのは、倫理的な「徳義ナショナリズム」だ。徳義共生主義(コミュニタリアニズム)においては、多層的なコミュニティーが重視されるので、国民国家というナショナルなコミュニティーも大事だ。よって、国民の生活を守るための政治が必要になる。
さらに、これは、「善き生」という価値の観点に基づくナショナリズムだ。戦前の戦争は、日本の自己利益を守るために中国を侵略したので、利己主義的であり、倫理的にも「悪」である。さらに、ナチズムのような邪悪な政治と「枢軸」を作って戦争を行ったので、世界的な観点から見ても「悪」の一翼となった。
ここで根本的に重要なのは、今の世界的危機をつくり出しているトランプ政権に対する法的にして倫理的な判断だ。未だに高市政権はアメリカのイラン侵攻について法的評価を回避し続けている。スペインをはじめ主要EU諸国が国際法違反と非難し、イタリアやイギリスにおける親米的政権ですらアメリカ批判を強めている。
国際法違反であれば、同盟国であっても、違法な戦争ゆえ、その犯罪行為に加担することは正しくないことになる。単純化して言えば、自国も「悪しき国」の郎党になってしまうからだ。主要国において日本だけがアメリカに同調して肩を持つのなら、地球全体の観点から見ると日本も倫理的に「悪しき国」の一員になってしまうのだ。
極右ナショナリズムの致命的欠陥は、善悪という倫理的判断をせず、結果的に邪悪な政治を行うことである。健全なナショナリズムなら、国民国家のための政治を推進し、倫理的な悪には加担しない。イタリアのメローニ首相も右派ポピュリズム政治家とされているが、今はアメリカの戦争に加担しない方針を明確にし、イスラエルとの防衛協定自動更新を停止した(4月14日)。4月3日から中東諸国を歴訪してエネルギー供給確保に務め、イタリア国民のために行動している。よって、少なくとも現段階では、戦前のムッソリーニ・ファシズムとは異なり、極右ナショナリズム政治家ではなく、健全なナショナリズム政治家と判断できよう。これに対して、高市首相は、少なくとも自衛隊派遣をしようとした点において、倫理的な悪に加担しようとしたのであり、鼓舞しようとするのは邪悪な極右ナショナリズムということになる。
「ローマ教皇 対 トランプ政権」という善悪対立
この倫理性を際立たせているのは、ローマ教皇レオ14世とトランプ政権との対立である。前回に書いたように教皇やバチカンの主要幹部はアメリカの戦争を批判している。トランプ大統領が、自分の要求に応じなければ「今夜、一つの文明が丸ごと滅び、二度と決して回復しない」とソーシャルメディアに書いた(4月7日)のを期に、さらに激しい批判を行った。
アメリカの地上戦突入が危惧されており、この時は、全ての橋や発電所など民間施設の攻撃を警告していて、文明消滅という表現は原爆投下の可能性を感じさせた。国際法では民間人攻撃を禁止しているから、明々白々の国際法違反であり、想像を絶する犠牲をもたらす。アメリカ軍内部でも激しい抵抗が起こっており、国防長官との確執により陸軍参謀長官や高官2人が解任された。トランプ政権は攻撃を思いとどまり、パキスタンの仲介により、2週間の停戦が実現した。しかし、イスラエルが反対してレバノンに大規模攻撃を行い、交渉中にもアメリカ側に圧力をかけて、停戦交渉は失敗した。現在、再度交渉が行われているが、予断を許さない。
アメリカ出身の教皇レオ14世は、祖国の状況も知悉(ちしつ)しているだろう。そして、4月7日には、民間インフラに対する攻撃が国際法違反であると述べつつ、「確かに国際法の問題であるが、それ以上に、(世界の)人々の善のための道徳的問題である」と述べた。そしてアメリカ市民に対して、平和を求めてイランへの大規模攻撃を止めるよう、議員に訴えるように勧め、世界中の人々にも政治家に対して地域紛争の終結を求めて働きかけるよう呼びかけたのである。この発言で決定的に重要なのは、教皇ゆえ、国際法における法的判断だけではなく、宗教的な善悪の判断を示されたということである。
教皇が直接に政治的批判をすること自体が稀(まれ)だが、人々に政治的行動を促したというのは、さらに異例である。イラン文明の消滅という脅迫に対して、教皇の最大級の危機感の現れと言える。
さらに、教皇の上記の発言の後で、米国防次官がローマ教皇庁の駐米大使(枢機卿)に対して、米国には「世界で望んだことは何でもできる」軍事力があると警告し、14世紀のアヴィニョン捕囚の脅威を仄(ほの)めかした(今年1月)という米メディアの報道があった。それによると、軍事的対応を辞さないという脅迫と受け取られるものだったという。
これは、中世の14世紀に、政治権力と教皇庁が対立し、フランス国王が教皇ボニファティウス8世を捕らえて南部のアヴィニョンに幽囚したという歴史的大事件である。となると、ベネズエラ攻撃のように、アメリカがローマ教皇を誘拐して幽閉するという連想が働く。
「核兵器への弱腰な姿勢は到底受け入れがたい」(読売新聞、4月14日)などのトランプ大統領の度重なる教皇非難に対して、教皇はひるむことなく、「私は今後も戦争に反対し、平和を促進し、対話と多国間関係を推進し、問題に対する公正な解決策を模索するために、声を大にして語り続けるつもりだ」と語った(4月13日)。メローニ首相も、トランプ大統領の教皇批判は「受け入れられない」と述べた(4月14日)。イタリアではカトリック信者が多く、メローニ首相自身もカトリックだ。
他方でトランプ大統領は、自分をイエス・キリストになぞらえた人工知能(AI)生成画像をソーシャルメディアに投稿した(4月12日)。これに対しては支持者たちからも「冒涜(ぼうとく)」という厳しい批判が相次ぎ、投稿は削除された。
その後、教皇は、宗教的な言葉を使って戦争を正当化する指導者を非難し、世界は「一握りの暴君に蹂躙(じゅうりん)されている」と述べて、「断固とした方向転換」を訴えた(16日)。直接にトランプ大統領に言及したわけではないものの、そのように受け取る人が多かった。
このようにまさしく全世界的な宗教と政治との対立が起こっており、これは「平和 対 戦争」という倫理的な善と悪の衝突に他ならない。宗教の如何(いかん)を問わず、この善悪対立には関心を持たずにはいられないだろう。愛に基づいて平和を願う教皇に敬意を抱く者は、道徳的に善き人々であり、トランプに与する者は、この地平において邪悪と位置付けられる。従って、トランプに媚(こ)びを売っている高市首相は、悪に加担しており、日本という国家もそう位置付けられてしまうことになる。それが、善悪を判断しない極右ナショナリズムの帰結なのである。





