利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(85) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

宗教・倫理と科学的展開の相似性

経済的にも、アベノミクスの失敗が顕在化して、円安や物価高が進行し、実質賃金も(2024年2月まで)23カ月間、連続して低下を続けている。この結果、貧困が再び国内において増大し、格差も拡大して両極分解が生じている。これは、多くの国民にとって深刻な事態だが、政治的腐敗とともに、従来の政治経済や生き方への疑念を膨張させて、新しい生き方や政治経済への希求も広がる可能性があるだろう。

ここにこそ、宗教性や精神性が新しく勃興し得る時代的条件が生まれているのではないだろうか。本来これらは、政治経済の状況とは必ずしも関係がなく、不変の真理や善を主題としているものの、現実の世界においては、苦しみや悲惨な出来事が多い中で勃興することが多いからである。キリスト教をはじめ世界的大宗教もそうだし、戦後の新宗教も例外ではない。苦しみから逃れたり救われたりするために、超越的ないし精神的世界に目を向けることが多いのが、人の常だからである。

さらに、新しい展開として、ポジティブ心理学のような科学的研究の成果が宗教や古典的な倫理と接近しつつあることも重要だ。近現代においては、科学の進展は中世までの宗教的世界観を掘り崩し、唯物論的世界観を増大させて、宗教的・精神的な生き方を減少させる方向に働いてきた。高度成長期以後において、日本では科学技術が大きな影響力を持ったので、この傾向が加速した。ところが、ポジティブ心理学などの発展によって、例えば感謝のような明るい心を持ったり、美徳・人格的な強みを活性化したり、(自己犠牲的ではない)利他的行為を行うことが、自分自身の幸福感(ウェルビーイング)を増大させることが科学的に分かってきた。これらは、伝統的な宗教や道徳が説いてきたことと似ている。

よってこの点を正確に理解して活用すれば、精神的・倫理的な「善き生き方」は、非科学的ではなく、逆に科学的成果によっても勧めることができるともいえる。つまり、これらの研究領域においては、宗教や倫理と科学とが接近してきているのである。

宗教性・精神性の復興を求める公共哲学

このように考えてみれば、今、復活すべきものが分かる。政治的汚濁の露見は、精神性・倫理性や公共性の高い政治の復活への希求を目覚めさせるだろう。経済的危機や貧困・格差の増大からは、金融操作による見せかけの経済的繁栄が幻のものであったことが明らかになり、政治的浄化と連動する倫理的な経済が望ましいという自覚が広がり得る。

そして、政治経済の基礎には、人々の生き方があるが故に、上述の科学的展開と相まって、伝統的な宗教や倫理が主張してきたような、精神的な「善き生き方」が大事であるという認識が改めて甦(よみがえ)ることも考えられる。政治経済の再生のためにも精神的復興が不可欠であるという考え方が、時代の要請する新しい「公共哲学」として瑞々(みずみず)しく立ち現れる時が到来しつつあるのではなかろうか。このように時代の条件がそろってきている以上、これが現実のものになるかどうかは、宗教性や精神性の重要性をいち早く自覚している人々の努力にかかっているのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。

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