利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(72) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

「言論弾圧」を可能にする解釈変更による幻想創出

立憲民主党議員(小西洋之氏)が、心ある総務省職員から託された文書を公開し、総務省が認めたことによって、安倍政権時代に、政権側からの圧力によって放送法の解釈が変更されたことが判明した。放送法における「政治的公平」について「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断する」という解釈だったのに、政権側が「一つの番組でもおかしい場合がある」という解釈へと変えさせたのである。これによって、テレビ局の番組に圧力をかけることが容易になった。

文書中の「けしからん番組は取り締まるスタンスを示す必要があるだろう」(磯崎陽輔首相補佐官=当時、2015年3月6日)という言葉が端的に示しているように、これは、言論や放送の自由に対する脅威であり、総務省出身の山田真貴子総理秘書官(当時)が「どこのメディアも萎縮するだろう。言論弾圧ではないか」(2015年2月18日)と懸念した通りに、権力による言論弾圧を導きかねない。しかし安倍晋三元首相がこの解釈変更の断を下したことによって、学問的に言えば、日本は真実の自由民主主義体制から、権威主義的体制という強権的な政治の方向へと変化し始めたのである。

現に、その後、政権に批判的な発言をしたコメンテーターやキャスターらは降板を余儀なくされ、テレビでは政権に批判的な言論がほとんど放映されなくなっている。

政治の現状に批判的な意見がほとんど放映されないのだから、その理由に気づかなければ、テレビに影響を受ける人々は政治や経済がうまくいっていると思い込んでしまうだろう。メディアによって幻想が人為的に創出されて、無自覚な人々はまさしく「ポジティブ幻想」の世界に陥ってしまうわけだ。

公的な文書や統計の隠蔽(いんぺい)・改竄(かいざん)も安倍政権時代から繰り返し発覚してきたが、これも現実を糊塗(こと)して集団的ポジティブ幻想を維持するための行為に他ならない。

理性と慈愛による公正なポジティブ政治を

幻想政治は遅かれ早かれ不幸な結果を人々にもたらすがゆえに、真実に立脚した政治へと移行しなければならない。放送法の「政治的公平」に関連させて述べれば、公平や公正は権力が決めて押しつけるべきものではなく、人々が自ら感じ、考えて実現させるべきものである。私たちの実証研究では、社会に公正や正義があると思う人には幸福感(ウェルビーイング)が高いことが明らかになっている。これが思い込みや幻想ならばいずれ破綻が生じるが、本当に公正や正義が実現しているならば人々に幸せをもたらすのである。

よって、現実から目を背けるのではなく、それを見据えつつ、公正や正義に基づく政策を実行することによって、ポジティブな気持ちが増え、コロナ禍のような難局にあっても不幸感の昂進(こうしん)が減るし、一般的には幸せの増進が期待できる。そのためには、現実を冷静に認識して人々に曇りなく知らせる理性と、希望を灯(とも)して明るい心を甦(よみがえ)らせる慈愛という両輪が政治に必要だ。これこそが、まやかしの幻想政治を脱却して、真実のポジティブ政治を甦らせる道なのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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