利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(71) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

加害行為を始めた政治

加えて岸田政権はマスク着用・非着用まで3月中旬から個人の選択に委ねる方針で、岸田文雄首相は学校の卒業式では、感染対策を施した上で、国家などの斉唱や合唱の時を除き、児童・生徒や教職員がマスク着用をしないことを基本にしたいと表明した(2月10日)。耳を疑うような発言である。

政府のこれらの方針に対し、丸山達也・鳥取県知事が「吹雪の中でコートを脱ごうとしている」「過去最大の死者が出ているのを忘れようとしている対応」「マスク着用に意味がないと言っている人の話は聞くに値しない」(2月8、9日)と痛烈に批判した。至言である。感染自体は高い水準にあるのにマスク着用を減らせば、感染増加は、児童でも分かるような簡単な因果関係である。

マスク着用の効果は、科学的に実証されている真理であり、感染対策としてはもっとも安価で有効な方法である。しかも日本人は優れたモラルやマナーによってマスク着用を励行し、それが初期における感染の相対的な少なさにつながっていた。これは国際的に評価されており、当時は保守的な人々も日本の美徳として誇っていたものだ。

国民がマスク着用という美徳を保持しているにもかかわらず、政権主導でマスク着用を減らそうと企てることは、政治が圧力をかけて感染増加を促していることになる。つまりは、国民の健康を損ない生命を失わせることを、政治が意図的に始めつつあるのだ。これまでは政治は感染防止の責任を果たさなかったのだが、今や感染拡大のための作為を行ったことになる。要は政治が加害者となり始め、人々がそれによって苦しむということなのである。

あるものをないかの如く見せようとする幻想政治

政権がこのような信じがたい政策を打ち出すのは、通常の生活が回復したかのような雰囲気を醸し出し、政権の成果と見せかけたいという思惑があるからだろう。すでに感染者の全数把握を止めているから、数字で感染状況を客観的に把握することは困難になっており、このような目論見(もくろみ)がまかり通ると考えているのかもしれない。

しかし、幻想を振りまいたからといって、コロナ感染という事実が減少するはずもない。つまりこれは、あるものをないかの如(ごと)く見せようとする幻想の政治なのである。その結果として国民に深刻な被害が生じるのだから、政治によるマクロなだましや詐欺に近い。

実を言うと経済においても、アベノミクス以来、日本政治は超金融緩和政策によって、経済的に成功しているという幻想を振りまき、それによって政治的支持を確保してきた。この稿で詳細を論じることはできないが、これが、今日の物価高をはじめとする経済的危機を招いている。新しい日銀総裁が決定したが、新総裁が立ち向かわなければならないのは、この結果としての危機である。

このように幻想の政治は、経済においても感染症対策においても、結果として人々を苦しめる。政治は、幻想ではなく事実と真理に基づいて行われなければならない。真理には、科学的真理も宗教的真理もあり、宗教的真理は美徳や倫理と結びついている。いずれにせよ、真理に基づく政治が求められているのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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