共生へ――現代に伝える神道のこころ(19) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

天祖神社の夫婦銀杏。雌木(写真右)には、第二次世界大戦の空襲によって焼けた跡が今も残っている(写真は天祖神社提供)

先の悲惨な戦争を知る生き証人的な樹木

杉について言えば、伏見稲荷大社の「しるしの杉」も著名だ。同社では、杉の木を富の木と称して、古来、稲荷神の霊徳を象徴する御神木の第一として尊んできた。それゆえ毎年、稲荷の縁日である初午(はつうま)の日には「験(しるし)の杉」を社頭で授与している。杉は一年中青々としている常緑樹であるところから、晩秋になって収穫される稲の豊作を予祝するために生気ある杉の葉を稲穂に見立てて、その年の豊年を祝うために用いたと考えられている。

神社の境内の樹木の中には、源実朝を暗殺した公暁が隠れたとされる鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏(残念ながら平成二十二=二〇一〇=年三月の強風による倒木のため伐採)のように、歴史の生き証人的な扱いとなっている樹木もある。東京都豊島区南大塚の天祖神社は、旧巣鴨村の鎮守として知られ、石段を登って境内の右手に「夫婦(めおと)銀杏」と呼ばれる樹齢600年、高さ30メートルの雄雌一対の御神木がある。第二次世界大戦末期の昭和二十(一九四五)年四月、米軍による大規模空襲の折に神社の社殿は全焼し、この夫婦銀杏も焼木となった。罹災(りさい)後、枝葉はもちろん、幹も焼け焦げて樹勢も衰えたため、枯れ木になると懸念された。ところが、その生命力は素晴らしく、銀杏の高さを半分にし、枝も大規模な剪定(せんてい)を行ったところ、見事に樹勢が回復して現在に至っている。この夫婦銀杏の雌木の幹の中には大きな空洞があり、黒く焼け焦げた箇所を肉眼で確認することができる。数多(あまた)ある御神木の中でもとりわけ、先の戦争の悲惨さを知る生き証人的な樹木の一つと言えよう。

樹木を用いた祭礼として最も著名なものに、長野県の諏訪大社の「御柱祭(おんばしらさい)」がある。寅(とら)年と申(さる)年に行われる「御柱祭」の中でも最も有名かつアグレッシブな神事である「木落(きおと)し」は、本年五月に行われる予定であったが、残念ながらコロナ禍による感染防止のため、二月末に中止の発表がなされた。この御柱祭では、神の依代となる御柱と呼ばれる大木を伐(き)り出して、諏訪大社の各宮境内の四隅に立てる。上社は八ヶ岳、下社は霧ヶ峰から16メートル余の樅の巨木を氏子が総力を挙げて伐り出して運搬する。この御柱祭は、木落し、川越し、木遣(きや)り、里曳(さとび)き、建(たて)御柱などの神事で構成されるが、旧諏訪郡の24カ町村、約20万人の氏子たちの奉仕によって盛大に斎行され続けてきた。諏訪大社の氏子総代を務めた山田三夫氏は、「諏訪の氏子はみんな、御柱を基礎にして、次の世代に伝えていく。いろいろな役割とか、地域の中でも区の役員を決めるから何から、御柱から遡(さかのぼ)って決めている」(諏訪大社監修『お諏訪さま 祭りと信仰』勉誠出版)と述べている。諏訪市や茅野市、下諏訪町に限らず、諏訪周辺の市町村では、現在でも地域の個々の小社、小祠(しょうし)に至るまで、境内の四隅に御柱が立てられている社が多い。そのことからも山田氏の言は、御柱祭がいかに旧諏訪郡の住民にとって大事な神事、地域の人々の精神的紐帯(ちゅうたい)となっているかを指し示したものであると言える。

わが国においては、『万葉集』に「神の坐す森」である神社や社の文字を「モリ」と訓(よ)み、「社」「杜」「森」が同じ意味で訓まれてきたように、神と森は離れ難いものである。神の占有する聖地を意味する「社」は、森そのものが神の依代とされ、人の入ることを禁じられた境域でもあった。奈良県の大神(おおみわ)神社のように本殿はなく、拝殿の奥にあるうっそうとした三輪山の森を禁足地として、三輪山そのものを御神体として崇(あが)めてきたことは、その端的な例の一つである。

一方で、石田一良氏が説くように、神のモリを人間に開放して、娯楽の場所としたのは、室町時代の新しい風習であり、神道における神観念の変化に伴ったものであるとする論もある。石田氏の論をいかに考えるかどうかは別としても、神社の森が今後どのように取り扱われていくかは、神道と日本文化、日本人の宗教文化を考える上で無関係ではないと思う。

毎年、神社の社有地が道路や河川工事などの公共工事のために売却され、中には、その広さが東京ドーム十数個分にもなる年もある。それだけの土地が収用されるということは、境内にあった多くの森もなくなることを意味する。御神木のみならず、里山を含めた地域の森林、緑地帯をいかに後世に守り伝えていくか。都市部では境内の落ち葉によるご近所問題もあるとは聞くが、環境問題やSDGs(持続可能な開発目標)の問題のみならず、日本人の環境文化に関わる大きな問題であろう。

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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