利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(66) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

宗教思想の政治的影響

しかし問題は、これにとどまらない。旧統一教会は日本を「エバ国家」「サタン(悪魔)の国」とする教義を持ち、日本人信者からの献金を「贖罪(しょくざい)」として正当化しているにもかかわらず、国家主義者であるはずの安倍氏がビデオメッセージなどで称賛しており、その政治的理念においても共鳴していたという疑いが浮上している。

もともと日本における旧統一教会の政治組織・国際勝共連合は、反共産主義という点で右派と共通性があり、憲法改正、教育基本法改正、専守防衛・非核三原則などの平和主義の放棄、選択的夫婦別姓・人権擁護への反対、原発の必要性を主張してきた。これらはほぼ安倍政治の主張と重なっており、教育基本法改正は安倍元首相が実現した。

また安倍氏の著作『美しい国へ』(文春新書、2006年)というタイトルは、日本統一教会初代会長である久保木修己氏の『美しい国 日本の使命』(世界日報社、2004年)という著作と極めて似ている。さらに国際勝共連合の改憲案(2017年)は、安倍氏が主導していた自民党改憲案における緊急事態条項や家族条項と一致している。加えて2021年12月、「こども庁」が急に「こども家庭庁」へと名称変更(2023年4月設置予定)された際にも、旧統一教会と親しい議員たちの働きかけがあった。国際勝共連合は以前から子供を巡る政策に「家庭」の文字が入る重要性を訴えており、国際勝共連合のサイト(https://www.ifvoc.org/news/sekaishiso202201/)でこの名称変更を「心有る議員・有識者の尽力」の結果であるとしているのである。

旧統一教会の側では、その政治的理念を実現するために政治家に働きかけていたことを認めているから、安倍氏を通じて日本政治に影響を与えることは、その戦略が成功したことに他ならない。安倍政治を擁護してきた右派は、本当に国を愛するならば、この点を直視して安倍評価を再検討すべきだろう。

カルト的宗教とは何か:健全な宗教との相違

とはいえ、上記拙著で論じたように、宗教が自分の利益を図るためではなく、その宗教的理念に即してそれを政治において実現しようと働きかけることは決して悪いことではないし、それ自体は政教分離に反しない。それどころか、世俗的な現実政治がどうしても利害の影響を受けやすいのに対し、超越的な世界や真理に基づく政治的活動は、私的利害を超えた理想を反映するという点で尊い意味を持ちうるのである。

それにもかかわらず、旧統一教会との政治的癒着が問題となるのはなぜか。もちろん旧統一教会が、オウム真理教と並ぶカルト的宗教の代表例だからである。カルトと宗教とは思想内容からは見分けにくいこともあるが、組織や運営の点では明確な相違があり、スティーヴン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版、1993年)によると、破壊的カルトとは「非倫理的なマインド・コントロールのテクニックを悪用して、そのメンバーの諸権利を犯し傷つけるグループ」と定義される。つまり、上意下達の組織によって、行動・思想・感情・情報を統制され、理性的で自由な思考ができなくなり、教義や組織の指示を絶対視し、法律や良識を無視した不正行為をするようになるのである。霊感商法などによる強引な集金や、安倍元首相銃撃へとつながった献金問題は、この端的な表れである。

これに対して、健全な宗教は、信者の自由で理性的な思考を抹殺せずにかえってそれを育み、心を自分の意志によって統御するための技芸(アート)を教える。要するに、健全な宗教が人々を精神的・倫理的に成長させて幸せに導く可能性を増大させるのに対し、似て非なるカルト宗教は、信者を組織に隷属(れいぞく)させて本人や家族を不幸へと陥れがちなのである。悪性カルトの見分け方を知ることは極めて重要であり、平和問題との関連において私も要点をまとめたことがあるので、あまりよく知らない人は参照していただければ幸いである。※小林正弥『公共研究』、「公共的霊性と地球的平和 ――新しい平和運動の構築に向けて」(千葉大学公共学会、2006年6月、第3巻第1号42―51頁)

【次ページ:全体主義的宗教と超国家主義】