利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(60) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

正義・公正と幸福感

先月に書いたように、コロナ問題の長期化は、人々の幸福感(ウェルビーイング)の持続的な低下をもたらしている。これが抑うつや精神的な病、さらには自殺の増加をもたらしているのである。

同時に、私が正義・公正の度合い(人々が自分の周辺や日本にどのくらい正義や公正があると思うか)を調べて幸福感との関係を分析したところ、正義・公正があると思っている人ほど幸福感が高いことがわかった。さらにコロナ禍による気持ちの変化についても、正義・公正があると思っていない人ほど、気持ちが暗くなったり、心配が昂(こう)じたり、気分が滅入(めい)ったりすることが多く、逆に正義・公正があると思っている人ほど、気持ちが明るくなっている人が多かった。一昨年5月から昨年10月までの3回の調査で一貫した結果が出ており、その度合いは時とともに大きくなっていた。

ここから想像できるのは、コロナ禍という暗い現実に直面していても、社会に正義・公正があると思っている人は、気分の暗転が少なくなるということだ。正しい政治が自分たちを助けてくれると期待して、絶望感に陥るのを回避できるからかもしれない。政治はもちろん現実の政策によって人々を救うことができるが、その期待の有無によっても人々の幸福感は増減するのである。まさに政治のあり方、政治家の役割が問われている。

絶望から希望へ

人々の心が沈んでしまう危機の時こそ、政治が人々に希望を灯(とも)すことが重要だ。責任があるのは政府や与党だけではない。野党第1党・第2党からも、政府の無為無策を厳しく問い詰める声は少なく、一刻も早く緊急事態宣言を発出して被害の拡大を食い止めるように要求するアピールはあまり聞こえてこない。要は、主要政党執行部は現在の緊急事態に対する対応能力を失ってしまっているのである。これは、政党政治全体の不信感を招き、民主政治の危機を昂進(こうしん)させかねないだろう。

この憂慮すべき事態を克服するためには、人々がまずは事態を正しく見て声を上げ、心ある政治家が起(た)って、倫理的観点から公共善の実現を最大目的とする政治を求めなければならないだろう。まもなく増加が頂点を越える(ピークアウト)と期待している人が少なくないが、その後に下げ止まる国も多く、さらに新しい変異株によって次の波が迫る兆候もある。何度も同じ過ちを繰り返すことなく、私が提案している徳義共生主義(コミュニタリアニズム)を指針として、正義や公正の実現を目指す政治の新しい波を起こし、人々の心に希望を甦(よみがえ)らせてもらいたいものである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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