共生へ――現代に伝える神道のこころ(2) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
神の恵みの対極にある祟りの存在を今に伝える
少し話が逸(そ)れるが、京都の八坂(やさか)神社には疫神社(えきじんじゃ)という疫病除けの信仰を持つ社(やしろ)がある。同社の御祭神は蘇民将来(そみんしょうらい)とされるが、この神は奈良時代の『備後国(びんごのくに)風土記』逸文の説話に登場する神である。簡単に話の内容を述べるとこうだ。
昔、北の海におられた武塔神(むとうしん)が、南海の神の娘を嫁にもらうべく旅し、途中で日が暮れてしまった。その折に、蘇民将来と巨旦将来(こたんしょうらい)という二人の兄弟と出会った。蘇民将来は貧しいが心優しく、巨旦将来は裕福だがケチであった。武塔神は、旅の一夜の宿を弟の巨旦将来に頼んだが、宿泊を拒まれ、兄の蘇民将来のところへ行く。兄の蘇民将来は快く受け入れたものの貧乏であったため、敷物の代わりに粟殻を敷き詰めて神の座にし、粟飯を炊いて粗末ながらも手厚くもてなした。
一夜明けて旅立った神は、数年の後に蘇民将来のところへ再訪した。この時、蘇民将来は、武塔神に「茅(ちがや)の茎で作った茅(ち)の輪(わ)を腰につけておきなさい」と言われたので、言われる通りにした。すると、蘇民将来の一族以外は皆、死に絶えてしまった。武塔神は、自身が須佐之男命であることを明かし、世に疫病がはやれば、私の言う通り、茅の輪を腰につけた者は疫病から免れるだろうと教えた。
この故事などをもとに「茅の輪」は、疫病除け、災疫除けの霊力があるものとして現在でも人々に信仰されている。蘇民将来の説話は、神々はいつも私たちに「恵み」を与えてくれる存在とは限らないということ、つまり、神の恵みの対極にある神の「祟り」の存在を武塔神(須佐之男命)に仮託して今に伝えている。その恐ろしい神の祟りを鎮め、人間社会を守る方法の一つとして、疫神や死者の怨霊などを鎮め、なだめるために御霊会(ごりょうえ)などの神を慰めるための祭りを行ってきたのである。