共生へ――現代に伝える神道のこころ(2) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

人生の物事、出会いを『古事記』に置き換えて

三重・伊勢市の松下社の境内には、蘇民将来を祭る祠(ほこら)がある

一方で、『常陸国(ひたちのくに)風土記』の行方(なめかた)郡の段には、荒ぶる神を恐れ、慰めるのではなく、うまく共存しようという動きも伝えられている。これは、中央の朝廷から派遣されてきた役人が原野を開拓しようとした際に、夜刀神(やつのかみ)という頭に角の生え、ひとたび見れば皆殺されるという恐ろしい蛇神が開拓を妨害するため、山(神の地)と田(人の地)の境に「標(しるし)の梲(つえ)」を立てて、以後、社を立てて神を祀るとともに、人々と神との境界を決めて共存したというものだ。その後、人々は夜刀神を追い払ったが、神の祟りがあったという記述はない。自然と人との関係、共生の在り方を考える場合、この夜刀神の伝承をいかに考えるか、非常に興味深い。

話を『古事記』に戻したい。伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の神生みの際、伊耶那美命は火之迦具土命(ひのかぐつちのみこと)を生んだ際に瀕死(ひんし)の火傷(やけど)を負い、黄泉国(よみのくに)へと旅立つこととなるのだが、この話を現代社会と置き換えて考えてみると、実に興味深いものがある。ギリシャ神話に登場するプロメテウスの説話とも類似するが、この火之迦具土命を生む話は、神であっても文明の象徴である「火」を手に入れたことによって、死者が住むとされる黄泉国へと赴くことになったというものだ。

人間に置き換えてみると、人々は「火」を手に入れることによってさまざまなものを加工し、産業が発達し、豊かな暮らしを手に入れることになった一方で、「火」を使うことで、爆弾や火薬などを用いる戦争や、原発事故を引き起こした。「火」は全てのものを破壊し、消滅させてしまう大変怖いもの――それを受け入れる運命を人々が背負うことになったということを、我々に教えてくれているのである。

このように考えると、日本神話を単なる国造りや神生みのストーリーではなく、現代を生きる我々に何かしらの生きるヒントを指し示しているものとして読み進めると面白いのではないだろうか。小生にはそう思えてならないのである。あらゆる人生の物事、出会いを『古事記』の世界観に置き換えて考えてみると、また違った生き方、物事の感じ方で過ごせるのでないかと思った次第である。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より現職。世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会平和研究所所員。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。