利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(48) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
因果応報の理
このようなことは、永続しない。今の政治を見れば分かりやすい。非道徳的な政治の結果が、感染症の蔓延(まんえん)であり、病気や死という人々の苦しみなのだ。森友学園問題や加計学園問題が発覚した当時には、便宜を受けた人が少しいるにしても、大多数の人々は被害を受けていないとして、政権擁護(ようご)論も聞かれた。批判を受けて政治が私利を捨て国民全体の幸せに重きを置くように大きく改まっていれば、もっと真剣な感染症対策が取られたかもしれない。ところが政治は変わらなかったので、今度は国民全体が深甚な苦しみを被っているのである。
これを見ると、仏教の深い智慧(ちえ)を思い出す。原因と結果について「因果応報」の理という洞察があり、その影響を受けて日本文化には「善因善果(楽果)、悪因悪果(苦果)」という言葉が根づいた。簡単に言えば、倫理的に善いことをすれば善い結果(楽)が現れ、悪いことをすれば悪い結果(苦)が現れるということだ。
この考え方は個人について言われることが多いが、企業や国民のような組織や集団についても、集合的な原因とその結果と考えることができるだろう。国政なら「善い政治をすれば善い結果が現れるが、悪い政治をすれば悪い結果が現れる」ということになる。もちろん為政者個人にもこの理は当てはまる。専横を極めた独裁者の末路がしばしば哀れなのはこのためだ。もっとも、この場合は悪い結果が現れても自業自得である。問題は、この「苦」の結果は、国民全体に及ぶということだ。
今の世界では為政者を国民が選んでいるから、その選出行為の結果(苦楽)は国民全体に及ぶ。簡単に言えば、優れた人を選ぶという善い行為を行えば、善い政策を介して善い結果として国民に幸福が広がるのに対し、逆の場合は悪い政策を介して悪い結果が現れ、不幸な人が増えるのである。
ただし、実際には、国政では多数の政治家や行政などが結果に影響を与えるから、このような「原因と結果の関係」は複雑で分かりにくいことが多い。ところが、今はパンデミックという危機的状況だから、この関係が目に見える形で現れているのである。