利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(46) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

秘められた仏教的世界観の引力

とはいえ、政府に全てを求めることは難しい。鬼滅隊が政府公認組織ではないのも、無理はない。その原理には仏教などの宗教的思想が色濃く流れているからだ。鬼滅の剣技の要たる「全集中の呼吸」は、座禅における呼吸法(数息観=すそくかん=など)をはじめ、東洋思想の中核にある技法だ。鬼と仲良くなろうとすらした鬼殺隊の胡蝶カナエは観音菩薩のような優しさをたたえ、主人公たる炭治郎も勇気と共に限りない優しさを持っている。

剣士たちは、人を殺す「鬼」への怒りに燃えて闘うから、平和的な仏教精神とは異なると思う人もいるかもしれないが、そうでもない。仏教でも明王や四天王のように、剣などを持って魔や邪を退ける憤りの顔(憤怒相)の存在が信仰されているからだ。情熱的な炎の“柱”(リーダーの一人。煉獄杏寿郎=れんごくきょうじゅろう)は、片目で造形されることがある不動明王のように、炎のような闘気を身辺に発し、強力な鬼に立ち向かう。岩柱(悲鳴嶼行冥=ひめじまぎょうめい)は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら犠牲者に涙し、鬼殺隊最強とも言われる斬撃を繰り出す。蛇柱(伊黒小芭内=いぐろおばない)は、蛇をまとう軍荼利明王のようないでたちだが、親しい女性の恋柱の名前(甘露寺蜜璃=かんろじみつり)を思えば、その明王が「甘露軍荼利菩薩」とも呼ばれていることが想起される。

小学生の「憧れの人物ランキング」(ベネッセ・コーポレーションの会員意識調査。2020年11月20日―23日実施。https://news.yahoo.co.jp/articles/9319bd2210f78bc0506ca656a08861f0ec5386e8)で最近、先生や父母と並んで、登場人物たちが首位(竈門炭治郎)・3位(胡蝶しのぶ)など上位10人中7人を占めたが、物語を通じて仏教的世界観に無意識のうちに親しんでいくことは、心を愛や勇気や正義に向けて育んでいくから、とても喜ばしいことだ。仏教的世界観の引力もあずかって、このようなブームが生まれているのだろう。

確かに今の世は「鬼」の如き非道に満ちている――そう気づいたときに、純粋な若者たちの心には変革の炎が燃え始め、正義の「刃」も閃(ひらめ)くだろう。「鬼」の横行する現実もまた不変のものではない。「鬼滅隊」はもちろん仮想の存在だが、リアルな世界に存在する闘いの一つが選挙だ。コロナ禍にもかかわらず強行された大阪での住民投票や、米大統領選は、その地域や世界に大きな影響を与える闘いだった。嘘や暴言を日々重ねて不正行為が疑われている現職アメリカ大統領の敗北は、法と正義の勝利だったのかもしれない。世界的危機の渦中にあって、生命や正義を守ろうとする闘いがさまざまな姿をとって世界中で進行している。安らかで平和な世界が、感染症との世界大の闘いの彼方(かなた)に開けていくことを祈りたい。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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