おもかげを探して どんど晴れ(21) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

数年前、私は東日本大震災の被災地で出会った高僧に、この民話の由来がどこにあるのかを尋ねたことがありました。高僧は満面の笑みで言いました。「なるほど、それはお釈迦さまと弟子のやりとりの法話が基になっているのでしょうね」。そう言って、法話の内容を教えてくださいました。

お釈迦さまの弟子が、どんどん増えた時期がありました。弟子は皆、優秀でその中に兄弟がいました。兄はとても頭がよく、お釈迦さまの法話の一字一句を覚えることができました。弟は、なかなか覚えることができませんでした。弟は、自分の覚えの悪さで兄や他の弟子の足を引っ張っていると思いました。そして、今まで過ごした修行道場を出ることにしたのです。

弟が建物の外に出ようとした時、目の前にお釈迦さまが立っていました。そして言いました。

「確かに、おまえは言葉を覚えるのは苦手なのかもしれない。だが、私の話をよく理解し、実践できているのは、おまえだけだ。皆、汚れた足でこの建物に入ってくる。だが誰も、自分が汚していることに気がついていない中、おまえは毎日この建物を文句も言わずにきれいに掃除をしてくれている。皆がそれに気がつかず、気持ちよく修行をしているのだ。だから、おまえがいなくなればすぐに皆がおまえのありがたさを知り、いなくなったことに気がつくだろう。最も徳を積み、仏の心に沿った行動ができているのは、おまえだけなのだ。私の弟子になる時も、私の許可を得たはずだ。おまえが弟子をやめることは、私は許可をしていない。これからも皆のお手本となっておくれ。さあ、建物の中にお戻りなさい」

昔は、場所によってはトイレもなく、もちろん、人々の汚物(便)も泥に含まれていたこともあったのかもしれず、この弟は、相当に汚れた泥だらけの床を掃除していたと考えられます。「うんこ」と「運幸」をかけてインパクトを持たせて覚えやすくしたのでしょうね、というのは冗談ですが、汚れた場所は感染症の危険もあり、人間が健全に生きていく上で、心の整理と掃除とは切っても切れない関係だったのは確かです。

不運だと思っていた弟は、お釈迦さまに直接教えを乞うことができたという幸運を得ました。不運だと思っていたところから幸運を超えて、使命に出遇(であ)ったのです。修行の中で掃除は最も大切な一つであり、実際の行動で徳を積むことを教えられるこの話は、深い意味を持っていると思います。まさに、弟は運幸さまに気に入られたと言ってもいいでしょうね。「シンデレラ」も、毎日掃除をした結果、幸せをつかみました。掃除は環境衛生と、心の整理という深い意味を持ち合わせます。幸せをつかみ、その幸せを生かす――掃除には深い力があるものですね。

※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です

プロフィル

ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。