『現代を見つめて』(39) 誇りが持てる社会 文・石井光太(作家)

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誇りが持てる社会

社会には様々な職業があるが、過酷な労働環境に置かれている人たちは少なくない。仕事の性質上、どうしてもトラブルに見舞われやすいものもある。

その一つが、医療や介護の世界だ。医療従事者の三分の一が何かしらのハラスメントを経験しているとされる。かつて私が取材した訪問介護事業の経営者はこう言っていた。

「うちの会社では、四割が利用者さんからのセクハラや暴言で辞めていきます」

介護利用者からの罵倒、胸やお尻を触るといったセクハラ、わざと汚物を散らかすなどの嫌がらせといったことが日常的に起きているそうだ。

ただし、こういう仕事に就いている人に対して、「ブラックだから辞めた方がいい」と簡単に言ってしまうことには違和感を覚える。なぜならば、現場で働いている人々は、仕事に誇りを抱いていることが多いからだ。

介護士の一人は次のように話す。

「お給料は安いですし、ハラスメントもありますが、私がこの仕事を長く続けているのは、社会にとって絶対になくてはならないものだからです。介護の仕事を通して利用者さんの最低限の生活や人権を守れるし、喜んでもらえる。社会でそういう役割を担っているという誇りが原動力になっているんです」

他の職業においても同じだろう。たびたび過酷な職業として取り上げられるドライバーは、日本の流通や交通インフラを担っている自負がある。だからこそ、大変な仕事の中にもやりがいを感じて働いている。

近年、国や企業は労働環境をより良いものにすることに力を入れはじめている。ただ、そうしたマスとしての対策だけでは労働者の誇りを完全に守ることは難しい。必要なのは、私たち一人ひとりが、彼らが仕事に対して抱く熱い思いを理解することであり、感謝の気持ちを持つことである。

先の介護士は言う。

「お年寄りが多少悪態をつくのは仕方ないんです。でも、その後に、家族の方から『ありがとうございました』と言われると救われた気持ちになります。それだけでやっててよかったと思えるんです」

人々の仕事への誇りを守るのは、国や企業だけでなく、私たち個人の役割でもあるのだ。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。