利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(25) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

「文明の衝突」とパックス・アメリカーナの終末?

平成の始まりの頃に、平和な世界への期待が高まったのは、米ソ冷戦が終結しつつあったからだ。その楽観論を打ち砕いたのが9.11であり、それに続いたアフガニスタンやイラクにおける「対テロ」世界戦争だった。

その頃に注目されたのが、アメリカの比較政治学者サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」論だ。彼は、当時の楽観論に対して、次の世界的戦争は、西洋文明と他の文明の衝突から始まると予想して、特に西洋文明とイスラーム文明や中国文明との緊張がその原因となりかねないとした。

当時の日本の学界ではこの議論を批判する人が多かったが、私は文明論の観点から、基本的にこの洞察は正しいのではないかと主張していた。今から振り返ってみると、ハンチントンにはまさに先見の明があったのではないだろうか。ブッシュ政権時代に、ネオ・コンと言われた論者たちは「対テロ」世界戦争によって、アメリカ式の民主主義を軍事力で世界に広げようとしたが、その試みは失敗したと言わざるを得ない。

イスラーム世界に反米の風潮が強まりIS(過激派組織「イスラーム国」)が伸長し、フランスでの度重なるテロ事件のように西欧にテロ事件が相次いだ。今では、ISの勢いは衰えたとはいえ、今でも過激派によるイスラーム運動は強力である。

アメリカはイラク戦争で失敗し、民主党・オバマ政権で方向転換を図ったが、次には共和党・トランプ政権が成立し、「アメリカ第一主義」を唱えて、それまでの国際的な役割を投げ捨て始めた。これを見ると、アメリカの世界的覇権によるパックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)が9.11から動揺し始め、トランプ政権によって終焉を迎えつつあるのではないだろうか。

【次ページ:近代西洋文明の動揺という文明論の洞察】